いえばよかった日記

書評と創作のブログです。

2020-01-01から1年間の記事一覧

従順と非服従——太田靖久『ののの』について

こんにちは。Twitter上で @kawamura_nodoka のアカウントで活動している川村和です。 今回は今年の文芸書を紹介する「文芸アドベントカレンダー」の十三日目の担当として、necomimiiさんからバトンを受け取りました。文芸書の紹介というより書評の側面が強い…

(文芸ファイトクラブ2参加作品) 遠い感覚——柴崎友香『わたしがいなかった街で』について

紙面に限りがあるので引用して詳しく解説することは控えるが、『わたしのいなかった街で』の冒頭は語りの現在時が横滑りしていき、「一九四五年→親戚と同席した車中→その十年後」というふうに語り手にとっての「今」が移動していくという特異な文体ではじめ…

兄弟に寄せるふたこと

1 実家を出てひとり暮らしをはじめてからしばらく経つが、我を失った寝起きの頭が、かつて部屋にあった子供用の二段ベッドにいると錯覚し、弟の気配が下にないのをあやしむときがある。そういう朝にはホームシックとまではいかないが、感傷的な気持ちで胸が…

シスターフッド

1 文藝2020年秋号に掲載された高島鈴のエッセイによれば「シスターフッド」とは勝つための政治的戦略なのだという(「蜂起せよ、<姉妹>たち シスターフッド・アジテーション」)。なるほど、構造的に分断を強いられてきた女性たちに連帯と団結を呼び…

最小の暴力1——ジャック・デリダ「暴力と形而上学」について

『評伝レヴィナス』(サルモン・マルカ 斎藤慶典・渡名喜庸哲・小手川正二郎訳)によると、後にソ連へ吸収されることになるリトアニアに生まれた哲学者エマニエル・レヴィナスは、ロシア革命による政治的動乱を機に一九三〇年にフランスに帰化する。その際、…

僕のいない場所

四車線の広い国道の傍らで、その古本屋は取り残されたように建っていた。カゴに盛った百円均一の本を店先に置き、その上に店名のプリントされた旗を掲げており、その旗が風に揺られてパタパタ音を立てるのをときおり通行人が迷惑そうに一瞥するのを除けば、…

性的ゾンビ 遠野遥『破局』について

自分の側に社会秩序や規範があり、正しく悪を裁こうとしているまさにそのとき、人は最も暴力的に振る舞うものである。それが顕著になるのはたとえば居合わせた群衆によって痴漢が取り押さえられるような場面で、加害者が逃げる素振りを見せようものなら群衆…

他者をめぐって 柄谷行人『意識と自然――漱石試論』について

柄谷は『それから』において代助が友人のために譲った女性を奪いかえすときに口にした「世間の掟」と「自然」という言葉に着目し、次のように述べる。 ここに漱石が『虞美人草』以来長編小説の骨格にすえた「哲学」が端的に示されている。人間の「自然」は社…

ユーモラスな死の演習 多和田葉子『犬婿入り』について

いずれ迎える死を内に抱えた人間はみな等しく死刑囚のようなものである。最期の瞬間をひとたび想像すれば、誰もが叫び出さずにはいられないような底の抜けた恐怖に襲われる。人が平気な顔をして通りを歩くことができるのは待ち構えている運命を見ないように…

遍在する「私」 ——ヴァージニア・ウルフ『ダロウェイ夫人』について

小説の世界にはリアリズムと呼ばれるものがある。科学の産物であるそれは主に視覚的な情報を正確に切り取るのがよいとされる価値観で、風景を描く際に顕著に現れ、同じ風景をリアリズムに則って書けば同じような内容になると思われている。ところが冷静に考…

明るい部屋 3/3

6 月が出ていた。 祖父の家は駅を見下ろす高台にあり、京急線の路線が街明かりに揺れて夜の底で川のように波打っている。街灯の投げる小豆色のけばけばしい明かりが飴のように川面に薄く滲み、夜空の星と奇妙なほど調和した黄色になって溶けていた。川上で…

明るい部屋 2/3

4 和人の口振りが曖昧だったために、話題は自然と次に流れ、卒業を控えた弟の就職先が俎上に乗せられていた。この四月から弟は不動産管理を請け負う会社へ通うことになっていたが、下り坂と化しつつある不動産業に祖父の不安が転がり出し、資本金、業績、社…

明るい部屋 1/3

1 実家を出てひとり暮らしをはじめてからしばらく経つが、我を失った寝起きの頭が、かつて部屋にあった子供用の二段ベッドにいると錯覚し、弟の気配が下にないのをあやしむときがある。そういう朝にはホームシックとまではいかないが、感傷的な気持ちで胸が…