いえばよかった日記

書評と創作のブログです。

(文芸ファイトクラブ2参加作品) 遠い感覚——柴崎友香『わたしがいなかった街で』について

 

 紙面に限りがあるので引用して詳しく解説することは控えるが、『わたしのいなかった街で』の冒頭は語りの現在時が横滑りしていき、「一九四五年→親戚と同席した車中→その十年後」というふうに語り手にとっての「今」が移動していくという特異な文体ではじめられている。そのような文体に乗せられながらテクストを読み進めていくと、距離に関する言説が必ず時間とセットで表現される(具体的には目的地までの距離を表現する際は必ず「徒歩で何分」、「電車で何分」といった書き方がされる)点が目につくようになる。この二つの特徴によって読者の中には「距離=時間」という図式が生まれ、「大阪は電車で何時間だから遠い」というのと、「学生時代のあの瞬間は何年前だから遠い」というのが同じ次元の感覚になっていくのである。少なくとも語り手の「わたし(平尾)」はそのような感覚を生きており、集中してこの小説を読んだ読者にもまた同じ感覚が共有されることになる。
 このような文体は作者に否応なく時間への集中力を要し、ある時点から今現在はどのくらい遠い——時間が経ったか——を意識せざるを得なくさせる。こういう集中を強いられた中で「徒歩何分」「電車で何時間」という表現に出会えば、自然と距離に使う感覚で時間を捉えるようになるだろう。距離は時間で計算するものだから時間と距離は無関係ではないが、一九四五年の六月を距離的な意味での「遠い」と捉えるのはふつうの感覚ではない。ふつう、「遠い昔」といった表現をした場合、発言者の意図としてはその「遠い」というのは決して辿りつけないこと、不可遡であることを意味しているはずだが、柴崎友香の感覚では一九四五年の六月が「遠い」というのは距離的な意味での「遠い」と同じものであり、歩く努力を惜しまなければいずれ辿りつけるものなのである。作品全体に漂うこの感覚は自我を稀薄にさせるのだが、それは「わたし」が引越し先のマンションでテレビやインターネットの配線を繋げに来た業者にパソコンのメモリが少なくなっているとアドバイスされる場面に端的に現れている。人の苦境を思いやれる、と言って「わたし」は業者の親切に感動するのだが、ここで「わたし」が感動した「思いやり」というのは他人のことを自分のことのように感じる力だ。共感ともいう。これは言い方を変えると自他の境界が曖昧であるということであり、他人と自分との立場が容易に入れ替わったり、自我が絶対的なものではなかったりする感覚に繋がっていく。そのためこの小説では中盤から一人称の語り手だった「わたし(平尾)」ではなく、途中から作品に登場した葛井夏という人物が主役のような重みを持ちはじめ、作中で最も美しい場面に立ち会うことになる。その場面とは、休暇を使って友人たちと瀬戸内海に出かけた葛井夏が、友人たちに先立って一人で大阪に帰る高速バスの中、山の麓に広がる棚田が車窓に現れる。棚田ではその土地で何十年も汗水を流して生きてきた農家の老夫婦がふと仕事を止めて茜色に染まった夕陽を仰ぎ、美しい空に感動している。これ以上素晴らしいことなど人生にはないに違いない、と葛井夏は胸を打たれ、その老夫婦の幸福は、何年も何十年も田んぼに手を入れ、暑さや寒さや台風を経験してきた人だけが得ることができるものだと考える。

わたしはこれからも、たぶん、田んぼを耕したり毎日自然と対峙しながら誰かと共に何十年も過ごしたりすることはない。あの場所で体験できるこの世界の美しさは、わたしは得られないと思う。たとえ彼らの年齢になっても、得ることはできない。

 しかし葛井夏はそのために悲しむわけではない。

ずっとわからないかもしれないけれど、それでも、わたしは、自分が今生きている世界のどこかに死ぬほど美しい瞬間や、長い人生の経験を噛みしめて生きている人がいることを、少しでも知ることができるし、いつか、もしかしたら、そういう瞬間に辿り着くことがあるかもしれないと、思い続けることができる。

 葛井夏のこの思考は「わたし」のものではないし、遠く離れた場所にいる「わたし」がこの美しい瞬間を知る術もないのだが、人が「距離=時間」という感覚に生きているのなら、「わたし」は未来から翻ってこの瞬間に辿り着くことができる。少なくともその可能性を信じることができるのである。この可能性は作中の登場人物の中にではなく読者の中にこそ生起するものなのだが、ここでこの作品のテーマともなっている、「わたし」が作中でくり返し見る様々な戦争の映像のことを思い出そう。「わたし」はそこで死んでいく人たちが自分ではないこと、自分が安全な環境でテレビを見ている側の人間であることを不思議に思い、半ば画面の向こうの彼らに同化する形で、幸福を知ることなく死んでいってしまった人たちの悲しみを思う。しかし、『わたしがいなかった街で』というテクストはこう語りかける。棚田の夕陽を知ることもなく死んでいった人たちがいたとしても、夕陽は確かに存在していた。それがすべてではないか。自分の存在より美しい夕陽を眺める老夫婦が確かにいること、それ以上のことなどないのではないか、と。この途方もない作品において戦争の悲しみは浄化されているのである。