いえばよかった日記

書評と創作のブログです。

批評

批評の課題——柿木伸之『燃エガラからの思考──記憶の交差路としての広島へ』書評

この文章は柿木伸之『燃エガラからの思考──記憶の交差路としての広島へ』の書評として、ある媒体のために2022年9月に書かれたが、相談の上で没としたものである。時事や政治を語る準備が不足している状態でベンヤミンを応用した専門家の思考にふれたとき、対…

未だ描きえぬ肉声——佐藤厚志『象の皮膚』について

「暴力」という言葉はしばしばその内実を曖昧にぼかされたまま口にされる。物理的な暴行であれ性的な加害であれ、あるいは言葉によるものであれ、思い返してみるといつ誰にどのようなことをされたのかという被害体験を詳らかに語られることは意外なほど稀だ…

シスターフッド

1 文藝2020年秋号に掲載された高島鈴のエッセイによれば「シスターフッド」とは勝つための政治的戦略なのだという(「蜂起せよ、<姉妹>たち シスターフッド・アジテーション」)。なるほど、構造的に分断を強いられてきた女性たちに連帯と団結を呼び…

最小の暴力1——ジャック・デリダ「暴力と形而上学」について

『評伝レヴィナス』(サルモン・マルカ 斎藤慶典・渡名喜庸哲・小手川正二郎訳)によると、後にソ連へ吸収されることになるリトアニアに生まれた哲学者エマニエル・レヴィナスは、ロシア革命による政治的動乱を機に一九三〇年にフランスに帰化する。その際、…