いえばよかった日記

書評と創作のブログです。

批評の課題——柿木伸之『燃エガラからの思考──記憶の交差路としての広島へ』書評

 この文章は柿木伸之『燃エガラからの思考──記憶の交差路としての広島へ』の書評として、ある媒体のために2022年9月に書かれたが、相談の上で没としたものである。時事や政治を語る準備が不足している状態でベンヤミンを応用した専門家の思考にふれたとき、対象の強度に自分がついていけていないと判断したためだった。あれから一年が経ち、一巡りした季節が自分を柿木の思考の強度に追いつかせたとはまったく感じられないが、当時を見直すために公開する。
 2022年9月当時は殺害された元首相をめぐり、法的根拠の曖昧さが指摘される中で国葬が強行されたことで議論になっていた。この書評は当時のそのような時事を背景としている。

 石原吉郎パウル・ツィラーン、原民喜、殿敷侃、そしてベンヤミン。本書において引用されるのは、みな歴史的経験によって生存を脅かされ、多くは自死に至った者たちである。各々の経験は第二次世界大戦中のものだという共通点を挙げられるものの、それぞれにまったく質の異なる出来事だった。本書が示す批評の力は、それらに布置を見出し、まったく質の異なるものの連帯を描き出す点にある。

 星の一つひとつは小さな光でしかない。それらが結び合わさって星座を描いたとしても、けっして大きな光になるわけではない。それでも、人は星座を媒体として無数の物語を紡いできた。物語を意味するドイツ語「Geschichte」は同時に歴史をも指し示す。芸術でもあるような優れた物語は、途方もない彼方にある歴史を今ここに蘇らせ、質において無限に差異があるものの間に布置を見出す。あるいは逆に、時間の瓦礫の中から犠牲となり忘却された死者の歴史を掘り起こすことで、過去と現在が物語のように地続きに連続している事実に気づくことができる。

 たとえば、一九三九年、植民地主義の横行を背景に列強へ連なろうとしていた日本が行った中国空爆には、国葬を強引に推し進めた現在の権力と同じ心性がある。吉見俊哉空爆論』によれば、一九三九年の日本軍の空爆は無差別的である一方、決して中国都市内にある欧米各国の施設へ被害が出ないよう慎重に調整されていた。それは損害を出すことで欧米各国から「野蛮人」との誹りを受ける事態を避けたかったからである。

 

日本は、その「文明」をもって「野蛮」の側に位置づけていた中国人社会を平気で蹂躙したが、しかし自分たち以上に「文明」の側にいることが明白だった欧米社会から「野蛮」の側に位置づけられることを怖れ続けたのである。

吉見俊哉空爆論』、岩波書店、ニ〇ニニ年、62頁

 

 「文明」と「野蛮」の間に引かれた恣意的な線は、そのまま宗主国と植民地との分断線に重なる。自分を「文明」の側に位置づけそのことをなんとしてでも強者に認めてもらおうとする日本の心性は、植民地主義の産物以外の何物でもない。良心のある人にとっては灼熱の羞恥で頬を焼け爛れさせるような心性だが、前述の通り、これは戦中の遥か昔にだけあったものではない。現在にも地続きに連続しているものである。それは、明確な規定のないまま恣意的な忖度によって特定の政治家の国葬を決定し、海外から招いた要人の社交辞令による賛辞を間に受けてみせることで、その政治家が築いた長期政権下に没していった、無数の、無名の人々を忘却する側に自身を位置づけようとする現在の心性と重なるだろう。その心性は、空爆を行った上空からの視線に自身のそれを重ね合わせようとする姿勢だとも言える。中国空爆において日本軍が見せた卑屈さと同じものが、現代日本の各地でグロテスクに再演されているのだ。本書において、柿木はこのような姿勢を「大勢順応主義(コンフォーミズム)」として批判の俎上に上げている。

 柿木の「大勢順応主義(コンフォーミズム)」批判は、まず、それが石原吉郎のいう「計量的発想」と同根の思考によって成されている点を指摘するところから始まる。

 

私は、広島告発の背後に『一人や二人が死んだのではない。それも一瞬のうち』という発想があることに、つよい反撥と危惧をもつ。一人や二人ならいいのか。時間をかけて死んだ者はかまわないというのか。戦争が私たちをすこしでも真実に近づけたのは、このような計量的発想から私たちがかろうじて抜け出したことにおいてではなかったのか。

石原吉郎『海を流れる河』花神社、一九七四年、11頁

 

 「計量的発想」を広島に関する文脈から切り離して敷衍するなら、アメリカを含めた欧米各国を恣意的に「文明」の側に置いた上で、彼ら強者からのお墨付きをもらおうとする心性もまた「計量的発想」にもとづいたものである。そうである限り、現代には石原がいう「広島を『数において』告発する人びと」のいる光景が広がっているのだ。あるいは、強者からのお墨付きを求めてしまう気持ちがどこかにある限り、僕たちは誰もがいくらか「広島を『数において』告発する人びと」と同じ顔つきをしているのかもしれない。そして、「広島を『数において』告発する人びとが、広島に原爆を投下した人とまさに同罪であると断定することに、私はなんの躊躇もない」(注1)。

 石原の厳しい告発は僕たち全員の顔に照準を合わせている。本書において、柿木は栗原貞子やテオドール・W・アドルノらに共鳴しながら、このような石原へ応答を試みている。その際に参照されるのはベンヤミンのテクストである。

 「大勢順応主義」によって権力の座を占めた「支配階級」は、権力の犠牲となった人々を捨象した上で、「原爆を投下した上空」からの視線に自身のそれを重ね合わせつつ「神話としての歴史」を書き散らしていく。ベンヤミンはこれに対し、時系列に沿うような整頓されたものではあり得ない死者一人ひとりの生きた出来事を刻んだ「伝統としての歴史」を対置しようとした(注2)。「支配階級」は「伝統としての歴史」に介入を試み、死者たちの記憶を受け継ぐことそれ自体が「支配階級に加担してその道具となってしまう危機」をもたらすことでこれを弾圧しようとする(注3)。よって、「伝承されてきたものを抑圧しようとしている大勢順応主義の手からそれを新たに奪取すること」で、「支配階級」の暴力によって「抑圧された者たち」一人ひとりが経験した出来事の記憶が呼び覚まされなければならない(注4)。そうでなければ「死者たちまでもが安全ではない」のだ(注5)。

 「死者たちまでもが安全ではない」窮地に追いやられる支配階級の暴力は法において顕現する。国葬はその端的な例である。法的に明確な規定がないまま強行された国葬は、特定の個人を神話化することで、権力の犠牲になった死者を忘却の淵に落とし込む。同時にそれは、新自由主義的な価値観を推し進め人々の生存を脅かした政治を検討することなく、今後もそれを維持していくためのセレモニーなのだ。思えば、<このまま何も変わらないこと>こそが破局であると断じたのもベンヤミンだった(注6)。ベンヤミンは、このような法において現れる暴力を、法そのものを立ち上げる一撃(法措定的暴力)と法を維持する暴力(法維持的暴力)として分析した末、それらを「神話的暴力」と呼んで検討していく。この「神話的暴力」に抗い、暴力の停止を命じる力を、ベンヤミンは翻訳、および引用に見出していくことになる。具体的にみていこう。

ベンヤミンにとって翻訳とはけっして二次的に「外国語」を知らない読者を補助する手続きではなく、言語自体の生成の運動である」と柿木は宣言する(注7)。ベンヤミンにおける言語は、本来「日本語」や「ドイツ語」のように一個の言語として硬直するものではなく、他の言語との応答関係の中で生成し続ける。「このとき人間は、遭遇する事物の一つひとつの言語に呼応し、それを名づけていく。ここに人間の言語が生まれる。翻訳とは、世界との照応のなかから一つの言葉が発せられる出来事なのである」(注8)。この出来事において、死者のように異質な他者の言語に沈潜し、その細部に寄り添うことで、自明に用いてきた自国語を内部崩壊させるような「字句どおり」の翻訳が可能となる。「字句どおり」の翻訳は言語を円滑な情報伝達の手段であることから解放し、異質で破壊的な言葉遣いを編み出していく。そうして、人を組み込み整備していく銃器としての法の言葉に対し、内部に宿した芽をのばしてそれを機能不全に陥らせることができるのが「字句どおり」の翻訳なのである。

 引用もまたこれと別のものではない。「カール・クラウス」において、ベンヤミンは、一つの言葉をもとの文脈から引き剥がすことで、その言葉自身を響かせるクラウスの引用に注目する。このような「引用のうちには天使の言語が映し出されている」(注9)。ベンヤミンにとって歴史哲学を体現するものである「天使」とは、死者たちを一人ひとりその名で呼び、過ぎ去った出来事を瓦礫のなかから一つひとつ拾い上げていく存在である。「引用」とは、死者をその名において呼び、今ここに召喚することである。「引用」の中で、その名と共に呼び覚まされた死者の言葉は、死者の記憶を宿した舞台となる。引用者を含め、その言葉にふれた者は、PTSDの患者がフラッシュバックに襲われるようにして記憶の光に刺し貫かれるのである。このとき、言語は公的で整頓された「日本語」ではありえないものとして、死者の閃光によって破壊される。ここでは、法を含めた権力による神話こそが危機に陥れられるのだ。

 柿木は、原民喜をはじめ、石原吉郎栗原貞子パウル・ツィラーン、そして殿敷侃らを引用し、死者たちと共にある言葉を丁寧に綴っていき、神話にとっては破壊的なそのような言葉を植民地主義に寄生された人々へ突きつけている。これはベンヤミンのいう神的暴力を目指して実践された批評でもあるだろう。同時に本書は、植民地主義を内包する「大勢順応主義」に飲み込まれ生存を脅かされている僕たちに、死者たちとの連帯こそが生き延びる術となることを示す試みでもある。詩を含めた文学に限らず、美術や音楽といった諸芸術には、神的暴力でもあるような死者たちの記憶が刻まれている。死者たちの「強い沈黙としても現われうるこのような力を、芸術作品を成り立たせる内実として構成し、伝えるのが、言説としての批評の課題である」(注10)。

 批評は、失われてしまった文脈や作品背景を解きほぐし、芸術における根本的な生の肯定を噛みしめる。批評は、人間の生存を脅かすものに抗うような芸術作品を分かち合い、人々を生きることに踏みとどめる活動でもある。批評の仕事は、芸術との緊密な恊働により、作品と人々との架け橋になることで、歴史の裂傷を抱えつつも本質において生に引かれた文化を樹立する。このような営みに連なることを今の僕は求めている。

 

 

 

(注1)石原吉郎『海を流れる河』花神社、一九七四年、13頁
(注2)「神話としての歴史」と「伝統としての歴史」については柿木伸之『パット剥ギトッテシマッタ後の世界へ』インパクト出版会、ニ〇一五年を参照
(注3)ヴァルター・ベンヤミン「歴史の概念について」、山口裕之編訳『ベンヤミン・アンソロジー』、ニ〇一一年、364頁
(注4)前同
(注5)前同
(注6)ヴァルター・ベンヤミン「セントラルパーク」、浅井健二郎編訳『ベンヤミン・コレクション1』筑摩書房、一九九五年、403頁
(注7)柿木伸之『燃エガラからの思考』インパクト出版会、ニ〇ニニ年、115頁
(注8)前同
(注9)ヴァルター・ベンヤミンカール・クラウス」、山口裕之編訳『ベンヤミン・アンソロジー』、ニ〇一一年、163頁
(注10)柿木伸之『燃エガラからの思考』インパクト出版会、ニ〇ニニ年、99頁

 

 

 

未だ描きえぬ肉声——佐藤厚志『象の皮膚』について


 「暴力」という言葉はしばしばその内実を曖昧にぼかされたまま口にされる。物理的な暴行であれ性的な加害であれ、あるいは言葉によるものであれ、思い返してみるといつ誰にどのようなことをされたのかという被害体験を詳らかに語られることは意外なほど稀だ。人がそのような体験を告白し得るのは共に苦しみをわかち合えるような大切な他者を前にしたときのみだからである。毎日の報道がある、と人はいうだろうか。しかしそれは客観性を装ったキャスターの言い回しによって吐き気を催すようなリアリティが希釈された後のものであり、いわば「暴力」の残滓を伝え聞いているに過ぎない。僕たちの日常は誰かが受けた被害を詳細に語ったりそのときの悲しみや怒りを言葉にしたりする機会をなんとなく避ける空気で満ちている。それは反暴力を訴えていながらその随所に当の「暴力」を潜ませている結構な社会に僕たちが暮らしているからなのだが、『象の皮膚』はこの「暴力」と格闘して至るところで血を流している異様な作品である。
 たとえば作品の冒頭、小学校低学年だった主人公の凛は母親に付き添われ、周りの児童と共に健康診断を受けるのだが、アトピー性皮膚炎に覆われた全身の赤い皮膚を見せたところ、医者から「みなさん、これはカビです」と宣言されてしまう。後に誤診だったことが明らかになるのだが、このことをきっかけに美しい肌を持ったクラスメイトたちに「カビ」と囃し立てられるという脂汗の伝うような嫌なリアリティを持ったエピソードが描かれる。この場面が残酷なのは子供たちが凛を囃し立てるからでもそれを容認して笑っている大人たちの姿が垣間見えるからでもなく、社会の——他者の——言葉を凛が内面化してしまうところにある。言葉の暴力とは単に内容が暴力的だからそうなのではない。ぶつけられた人がその言葉を内面化してしまうがゆえに暴力なのだ。
 学校という社会から受けた「暴力」である「おまえはカビだ」という言葉は家庭の中で訂正されるどころか追認されることになる。健康診断で宣告された「これはカビです」という診断が病院に行った際に間違っていたと判明したとき、凛の母親は「よかったねえ」と喜ぶのだが、つづけて「水虫だったらお風呂の足ふきマットもタオルもスリッパも気をつけないといけなくなるからねえ」と安堵する。それを見て「潔癖症の母親が心配していることが、自分の疾患より家族の衛生だということに凛は思い当た」るのだが、このような娘の疾患より自分の衛生が大事といったエゴは凛の家族が持つ基本的な姿勢であり、凛の心の傷といったようなものが配慮されることは一切ない。凛と同じ小学校に通う兄が凛のあだ名を家庭に持ち込み、弟もそれを真似て凛を「カビ」と呼ぶ。父親はそれを止めるどころかおもしろがるという始末である。
 教室には凛の他にもアトピーの生徒がいたが、お互いが暗黙のうちに避け合うことになる。何気なく書かれているがここは重要な指摘であり、マイノリティとして言葉の暴力を受けている者は背負わなくてもいい負い目が原因で似た境遇の他者と連帯することができないのである。SNSで容易に連帯が叫ばれる昨今だが、この風潮にはマイノリティが連帯することが持つ根本的な困難を見えにくくし、声を上げられないマイノリティに対してさらに負い目を抱かせるような加害性がありはしないだろうか。実際、凛は苦しみを誰とも共有することもなく成長し、二十年の間おなじ苦労を重ね、契約社員として書店で働くようになっても孤立しつづける。アトピー性皮膚炎が治ることはなく、夏になっても半袖を着ることがない。人からそれを不思議がられると、凛は慣れた調子で「寒がりなんです」と嘘をつくのである。
 ここまで被害者としての側面が強調されてきた凛だが、それだけが描かれるわけではない。この作品はアトピー性皮膚炎の当事者にとって社会がいかに残酷かを描くというそれ自体重要かもしれないが退屈な告発文にはならず、凛の加害者としての側面も同様に強調してくのである。たとえば書店員になった凛が職場で万引き犯の男を捕まえた場面で、凛は後ろから男を裸締めにし、男が逃げることを諦めても締めつづける。突発的に生じて暴走したこの力を凛は緩めることができない。頭の中に「絞め殺せ」という声が響く。店長に止められてようやく凛は万引き犯を解放するのだが、このような瞬間に顔を覗かせるのは溜め込んできたルサンチマンを無反省に放出する人間の姿である。この姿は客に対するちょっとした呼び方にも反映している。凛は中学生のときに肌が象のように薄黒かったことから「象女」という蔑称で呼ばれるという経験をしており、人を外見で呼ぶ暴力性を嫌というほど知っているはずなのだが、若い店員にセクハラ紛いのことをしてくる中年男性の客に対しては平気でその見た目の特徴から「油男」という蔑称を使うようになる。アトピー性皮膚炎に関しては被害者である凛も自分より劣った他者を目にすれば平気で加害者に転じ得るのだ。
 凛の加害性は中学のときに同じ教室にいたソノコというクラスメイトとの関係においてより顕著に現れる。ソノコはいじめられて泣いている生徒をよく慰めており、容姿が可愛らしくて級友に好かれていた。そんな彼女から声をかけられると、「ソノコにそんな意図がみじんもないと知りながらも高いところからものを言われているようで不快だった」と回顧する凛は、男子生徒からいじめられていたのをソノコに庇われたとき、皮膚炎に覆われた自分の腕にそっと触れられてゾッとし、彼女のつま先を踵で踏んづけるという暴挙に出る。ソノコが泣き出したために担任教師にひどく説教されることになるのだが、凛は反省するどころか男子に向けるべきだった憎悪をソノコに向け、「ソノコのせいで男子の前で恥をかいて担任の説教を受けたと思」い、「虐げられた凛はもっと腕力の弱く、体の小さいソノコに当た」ることになる。もちろんソノコが意図的に凛を加害しているわけではないが、級友にも容姿にも健康な肌にも恵まれた小柄で可愛らしい彼女は凛にとってその存在が脅威であり、羨望の対象なのである。一方、嫉妬を引き起こすその身体的特徴がそのまま自分よりか弱くいくらでも痛めつけられる者であることを意味しており、凛にとって、ソノコは自分より上の存在(加害者)であると同時に自分より下の存在(被害者)でもあることが窺える。この構図はソノコと凛の関係に留まらない。先述の「油男」が客としてレジに現れ、アルバイトの女子大生に執拗にからんで過呼吸を起こさせるという場面があるのだが、ここで「油男」を止めようと躍起になっていた凛の元に千鳥という美貌の同僚が通りかかる。「油男」は標的を千鳥に変え、凛が再びそれを止めようとすると、千鳥からかまわないと言われて引き下がることになる。ひとしきりセクハラめいた言葉をなめるように絡みつかせた「油男」が去ると、「凛は「ごめんね」と千鳥の袖に触れ」るのだが、この動作はソノコが男子から庇った凛の腕に触れる素振りと対称的であり、千鳥にとっては凛がソノコのような存在に見えていることを暗示している。この作品においては誰もが少しずつソノコに似ているのだ。悪意の有無に関わらず、いやむしろ悪意のないところでこそ、人は誰かにとっての加害者であり、同時に被害者でもあるような存在として描かれているのである。

 


 過去と現在の生活が交互に描かれていた作品の流れを断ち切り、仙台に住む凛のもとに震災がやってくる。東北では発生した地震は凛たちの日常を食い破って人間のエゴを露見させていくのだが、それ最も顕著に現れるのが被災後にいち早く営業を再開した書店での様子である。「こんな時、誰しも本を読むどころじゃないだろう、という従業員一同の予測は外れ、午前十時にオープンした善文堂仙台シエロ店に大勢の人が押し寄せ」る。凛はこの対応に追われることになるのだが、現場はもはや無政府状態であり、大混乱の様相を呈すことになる。凛は目の前の光景にショックと憤りを覚え、次のような反感を抱くに至る。

 

新刊はどこだ、今日は男性誌の発売日じゃないか、週刊誌が見あたらない、などと声をかけられる。信じがたいことだった。まだ広範囲で水道もガスも復旧が進まない。物流が完全に止まっている。食うものだって満足に手に入らない。コンビニの棚は空っぽだ。沿岸地域では津波から逃れて命ひとつで避難所で雨露をしのいでいる人らがいる。食うことよりも、眠ることよりも、寒さで震えながら家族や友人の安否を祈る人がいる。今、この瞬間に一分一秒を真っ暗闇で過ごす人がいる。それなのにどうして新刊本が、大地震がなかったかのように、いつも通り入荷して店頭に並ぶということがあり得るだろう。

 

 作者には人間のエゴが鮮明に見えているのだ。たとえ大震災が起きた直後だとしても、自分の身の安全さえ確保されれば他人がどうであろうとかまわず、娯楽に走ることに躍起になる人間のエゴがくっきりとしているのである。「食うことよりも、眠ることよりも、寒さで震えながら家族や友人の安否を祈る人」にとっては津波そのものよりも破壊的なものに映るかもしれない。このエゴはもはや暴力なのだ。一方、前述の通りこの作品では誰かが一方的な被害者であることはなく、加害者としての側面も書きつけられることになっているのだが、この場面の場合、それは常連客だった女子大の女教員から理不尽なクレームを受けている際に、凛が彼女の首を絞める自分を想像するという形で描かれる。「女の顔がみるみる紫色に変色していく。口から泡が漏れる。ぶるぶるっと全身を震わせたかと思うと、一度に力が抜ける。大きな鼻の穴から血が流れる。女教員は崩れ落ちる」。震災によってもたらされた混乱の中、クレームという暴力をぶつけられる側も想像力によって加害者になっている、という現実が作者によって告発されているのである。作者の手は義憤によって震えている。印字された文字にすらその痕跡が窺えるほどである。
 作者の怒りは正当だ。僕も同じ立場に立たされて同じものが見えていたなら同じ感情を抱くにちがいない。しかし、そう思うからこそ慎重にならなければならない。作者の意図がどうであれ、この作品において震災は人の暴力を浮き彫りにするための装置として機能しているのだが、実際に大勢の死者が出て今も多くの人が苦しんでいる現実をそのように扱うことには間違いなく暴力性が潜んでいる。震災をフィクションに導入することで、書店に殺到した人々が他人の命より自分の娯楽を優先したのと同じ暴力性を作者が持ってしまっているのだ。
 先の場面の後でも作者の告発はつづいていく。被災後にいち早く営業を再開できたことで大きな売り上げを得た凛の職場に、おそらくは関東にある書店の営業本部から島袋という人物がやってきて御託を並べる。「四月は前年比にして倍に迫る売上を達成することができました」と意気揚々と喋る彼は、「この調子で引き続き好調を維持していきましょう」と朝礼を絞めるのだが、凛は「好調」という言葉に躓く。「困憊しながらも踏ん張って出勤して、食うものも食えず、震災と安月給に苦しむ書店員」を鼓舞したこの男には被災地の何が見えているのか。自分は安全な場所にいて苦しんでいる現場のリアルを無視する、ある意味では大いに資本主義的なこの身振りがいかに暴力的かが凛には鮮明なのだ。他にも震災後に実家の様子を見に行った凛に対し、はじめて無事を確認した父の一言が「なんだ、おまえもいたのか」というあまりにも残酷なものであったことや、大津波の迫った沿岸部に実家のある千鳥に対して職場の誰もが噂する程度のことしかできない現実が書き加えられていく。これらの場面を描く作者の手は怒りに震えながらも鮮やかだ。しかし、明確に描かれたこれらの場面に対して思うのは、他者の暴力を告発するそのときにこそ自分の言葉が誰かにとっての暴力になっていないか見極めなければならないのではないだろうか、ということである。
 この疑問があるから、作品の終盤に対比的に配置された二つの場面はどこか白々しく見える。その場面の一つはモーリス神田というアイドルが凛の職場でサイン会を開き、そこに握手権を狙った転売屋やファンが詰めかけてパニックが生じるというものなのだが、人ごみの中、男の子を連れた母親が悲鳴をあげて倒れ込み、男の子がそれを助けようとして母親の上に覆い被さると、転倒した他の客がそこに雪崩れ込んで将棋倒しが発生する。事態をどうにか収めようとしていた凛は猛り狂う群集の被害者になるわけだが、この後で、今度は人気アイドルのイベントに出かけた凛が数量限定のグッズの奪い合いに参加する場面が描かれる。職場で暴徒と化した人ごみの醜さを思い知らされているはずの凛が、ここではグッズを手に入れるための争奪戦の中で無反省に暴徒となり、目の前で少女が倒れると、そこを人ごみを突破してグッズを手に入れるための活路だと判断して倒れた少女の肩甲骨を踏みつけていくような振る舞いに出る。くり返しになるが、この作品では誰かが一方的に被害者であることはあり得ないのである。一方、男の子と少女という違いはあれ、欲望に狂った人々が転倒した子供を踏みつけるという同じモチーフの対比的な配置はいささか技巧的に見え、器用に振る舞う作者に震災をフィクションに導入したことの加害性を問うてみたい気持ちを抱かせられる。
 『象の皮膚』はありとあらゆる種類の加害性が描かれ、まるで「暴力」のデパートのような作品なのだが、実は作中に「暴力」という言葉は一度も出てこない。これはなぜだろうかと考えたとき、この点に、「暴力」という言葉を回避した作者が、震災をフィクションに導入することの加害性と向き合うことから逃げているという姿勢が現れているのではないかという疑問が湧いてくる。
 苦しんで書いたであろうことは想像に難くない。キャッチーなテーマだからという不純な動機で震災を導入したわけではないこともわかる。震災という現実が露わにした暴力性に本当に苦しんだ人だから書けた作品だということを僕は微塵も疑わない。その上、おまえに震災について何が言えるのかと反問されれば押し黙るしかないのが正直なところだ。そのような僕もまた書店に殺到したあの醜いクレーマーたちの一人に過ぎないだろう。それで大いに結構だ。文学は未だあの震災を十分には描きえていない。それは苦しんでいる人が現実にいる問題をフィクションという娯楽に導入することが孕む暴力性に真摯に向き合うことの困難さに由来するだろう。ただ一方的な被害者など存在せず、誰もがなんらかの形で加害者なのだという洞察を持った作者ならこの困難に再び挑戦することができるかもしれない。僕は一クレーマーとしてそれを期待している。

 

2000字書評コンテスト『講談社文芸文庫』応募作品

 

僕も参加していた2000字書評コンテスト 『講談社文芸文庫』結果発表|コンテスト|NOVEL DAYSの結果が発表されました。

 

残念ながら僕は落選してしまったので、今回は応募した作品をこちらのブログに掲載します。

 

 

 

他者をめぐって——柄谷行人「意識と自然」について

 『畏怖する人間』に収録された「意識と自然」という処女作で柄谷は、漱石を論じる文脈で次のような図式をくり返し描いて考察している。それは対象化できる私(外から見た私)と対象化できぬ「私」(内から見た「私」)の乖離という図式である。対象化できる私とは端的には容姿や経歴や能力といった他人の目に映り外から評価することのできる私のことを指す。反対に対象化できぬ「私」とは他人の目には映らない内面の「私」を指す。たとえば漱石の重要な仕事として柄谷が取り上げた『坑夫』の「自分」は「ものを知覚しているが、どうもそれが現実のように感じられず、自分も明らかに自分なのだが、自分自身のように感じられない」のだという。柄谷によれば「私が『いまここに』あることと、次に私が『いまここに』あるということの間にいかなる同一性も連続性も感じられぬ心的な状態を語っている」のが『坑夫』なのだという。ここで漱石が問題にしているのは、外面的には昨日とおなじ一人の人間に見える「私」が、その内面では昨日と今日とで自分がおなじ自分だとは思えないと感じているということである。別人がおなじ皮だけ纏っているような奇妙な感覚が漱石にはあったのだ。このような現実感を稀薄にしか感受できない感性は漱石に固有の問題ではなく、「内面への道と外界への道」のなかで柄谷自身の感覚でもあると吐露されている。
 柄谷・漱石が置かれた状態は「私」の同一性、連続性が絶たれており、その結果、外界に対して批評したり反省したりすることはできるのに、それらを現実のように感じられず、自分自身のことすら自分のようには感じられず、テレビのなかの登場人物を眺めるようにしか見ることができなくなっているというものなのである。この状態は知覚そのものを変容させ、妄想を生じさせる。「漱石の迫害妄想は、対象化しえぬ「私」の次元における縮小感が外界の他者を迫害者のように変容させた」ために引き起こされていると柄谷はいう。どんなに他者を求めても、他者の代わりに迫害者という実態のない妄想しか現れないという「存在論的」問題の渦中で苦しんだのが漱石なのである。柄谷はこの事態を「他者に対して根源的な関係性が絶たれている」と表現する。
 こうした事情により『道草』以前の漱石作品の登場人物は、代助にせよ宗人にせよ先生にせよ、みな漱石の分身であるような知識人と、それ以外の大衆的人物とに二分されていた。しかし、『道草』を経て執筆された『明暗』の健三は「根源的な関係性」を取り戻しており、知識人と大衆という隔たりを取り払った他者のなかに配置されていた。そうして他者との間でダイアレクティカルな会話をくり広げる。これは漱石のそれまでの作品にはなかった特徴である。『明暗』において漱石は世にいわれる「近代人」を描いたのではなく、普遍的な実質を描こうとした。いいかえればただ人間を描こうとして苦しんだのである。人間とは何か。柄谷は言う。

小林のことばがつねに自虐的なアイロニーにみちているのは、「真実」をお秀のような理論家のように語ることができないからである。恥ずかしい進退窮まった地点からしか「真実」を語ることはできはしない、そうでない真実などは贅沢な連中の頭のなかにつまっている知識にすぎないのだ。お延をもっとも理解していたのはおそらく小林であって、彼女もまた自尊心をかなぐりすてて「頭を下げて憐れみを乞うような見苦しい真似」をあえてやるにいたったのである。

 『こゝろ』の先生は自殺はできても自分が抱えた過去を奥さんに告白することはできなかった。しかし「恥ずかしい進退窮まった地点」にいて先生のような経済的余裕とは無縁の小林は情けなく涙を流しながらも訥々と真実を語っている。先生の真面目さより小林の滑稽さの方が何歩も先を行っていたのだ。お延も小林のように「頭を下げて憐れみを乞うような見苦しい真似」におよぶことで真実を語っている。津田や先生のような知識人がどれだけ立派に見えようと、小林やお延のような見苦しい者の見苦しさの方がずっと真実に肉薄し、真実を語りうるのである。
 「異質な他者」との出会いにおいて人間の真実が現れるという視野を漱石が持つようになったのは、『道草』において自分自身を相対的に見ることに成功したからである。『明暗』ではその非情な眼でもって人間をただ見つめ、描いた。どのような経験を通して漱石がそのような眼を持つにいたったのか、それは『畏怖する人間』を通して読んでもわからない。しかし、晩年の漱石を参考にして次のようには言いうるかもしれない。自分自身の内面と外面との間に開いた乖離に向けていた眼を他者に転じて彼らとおなじ顔をした己れを見出すことがあるかもしれない。他者をめぐるそのような可能性に賭けるとき、人は自殺するよりもなお怖ろしい告白を実践し真実を語りうるのである、と。

 

 

 

偶然の飛翔——ドストエフスキー『やさしい女』について

 ナチスの親衛隊が囚人を移送する行軍のさなか、囚人のなかの一人をランダムで選び出して銃殺するという気晴らしを思いついた。この気晴らしで選ばれたのはイタリア人の青年で、彼は周囲を見渡して他の誰かではなく他ならぬ自分が選ばれたことを知ると、頬を薔薇色に染めて恥ずかしがったのだという(アガンベンアウシュビッツの残りもの』)。
 偶然という自分ではどうしようもないものに命を左右されるとき、人は通常の意味を超えた実存に達する「恥」を抱いて頬を薔薇色に染めることがある。私見では、表題作『やさしい女』を読む上でキーとなるのはこの偶然と恥である。思えば主人公が将校という輝かしい身分を捨てて質屋という卑しいと自認する職業に就いた原因は、上官の悪口が大声で交わされたビュッフェの席にたまたま居合わせたという偶然によるものだった。その場で抗議をしなかった主人公が名誉挽回のために決闘するように促されたのを断ったため、臆病者として団を追われたのである。
 さらに言えば妻となる少女と主人公が出会ったのも、彼女が偶然に主人公の質屋を選んだからだった。もっともはじめは主人公にとって彼女は他と変わらぬ一人の客だった。それが違う目で彼女を見るようになったのは、ある日、ほとんど無価値な袖なしのジャケットを質草として持ってきたときに主人公が思わず皮肉を口走ったところ、彼女が真っ赤になって空色の瞳を燃え上がらせたのがきっかけだった。その姿に主人公は「ある種の特別な思い」を抱くようになる。それは三万ルーブリを集めてクリミアかどこかに領地を買い、南部の海岸地方に葡萄園をつくり、家庭を持ちながら周囲の隣人を助けて暮らすというどこかしらナイーブな理想を彼女に打ち明け、世間的には質屋という卑しい存在だが、地上でただ一人、彼女だけは自分が本当は高潔な理想を持った紳士であることを知ってくれるようにすることだった。真っ赤になって恥ずかしがる姿を見た瞬間に彼女を選んだのは、イタリア人の青年がそうだったように偶然に違いないが、しかし一度選んでしまうと、主人公にとって彼女はもうその他大勢には戻りえない特別な存在になったのである。
 ある特定の誰かが特別な人になるのはその人に特別な気質や理由があるからではない。偶然に出会い共に時間を過ごしたというそのことがその人を特別にするのである。主人公にとって彼女は特別な存在になった。両親の死後、意地悪な二人の叔母のもとに引き取られた彼女は間もなく俗悪な商人に嫁がされそうになっており、進退両難に陥った末、主人公のもとに親の形見だった聖母像を質草に入れにくる。これに対して主人公は黙って十ルーブリを渡すと、翌日彼女の家を訪ね、商人がいる目の前でプロポーズするのである。これによって主人公は彼女が窮地を救った自分を尊敬してくれるものだと思い込むのだが、ここから二人のすれ違いがはじまる。
 『やさしい女』というタイトルにもある「やさしい」とはロシア語で「クロートカヤ」といい、日本語では「やさしい」もしくは「おとなしい」と表記する他ないのだが、山城むつみによるとこの「クロートカヤ」は単に無口だとか従順でおとなしいとかいった意味ではなく、猛獣を鞭で打ちつづけてようやくおとなしくなったような状態、いつ暴れ出すかわからない激越なものを秘めた状態を指すらしい(『ドストエフスキー』)。奇妙なことだが本作で一度として名前を口にされることのない「クロートカヤ」は、すれ違いの最中に主人公に牙を剥く。「やさしさ」とは表裏にある「激越さ」を発揮するのである。ある日、彼女は夫となった主人公との口論の果てに、突然主人公に向かって足を踏み鳴らしはじめる。その姿は紳士を信条とする主人公をして「野獣のようだった」と言わせずにはいられないような激越なものだった。この激しさは眠っている主人公のこめかみにピストルを押しつけるという行動でピークを迎える。
 奇妙に聞こえるかもしれないが、彼女のこの行動はすべて愛の成せる技なのである。

私との関係は誠実なものでなければならない。愛するにはすっかり心から愛する必要がある。(中略)ところが彼女はあまりに貞節で、あまりに純粋であったために、商人にとって必要な程度の愛には妥協することができなかったし、同様に、私をだますことを欲しなかった。本当の愛に見せかけて、半分の、あるいは四分の一の愛でだますことを欲しなかった。あまりに正直で。そこが問題なのだ。

 二人の「問題」とは関係の非対称性にあった。愛し合うとは対等な関係で隣り合い、向き合いながら愛することだが、二人の間には落差があった。常に主人公は施す者であり、彼女は施される者だった。偶然によってできたこの羞恥を埋めるために彼女は命懸けの飛翔を試みるのである。その結果がどうなったのか、それは本作を手に取ってお確かめ頂きたい。

 

 

 

「終焉」を口走る者——蓮實重彥『物語批判序説』について

 『物語批判序説』の「物語」とは紋切型のことであり、端的にいえば「終焉」を宣言する言説のことを指す。たとえばニーチェが口走った「神は死んだ」という有名な宣言などが代表的な紋切型であり、狂気に陥った彼の哲学者に倣って「終焉」を口にしてきた数々の知識人が本書においては槍玉にあげられるのだが、著者による華麗な批判を読んでいて私が気になった点をいくつか紹介していきたい。なお、あらかじめ断っておくと、私は蓮實重彥のいい読者ではない。人をくった表現や独特の重々しい文体にそこはかとなく反感を覚えるのである。これは具体的な言説に反発してそうなってしまうというより、漠然とした生理感覚による反感であるため、著者の作品にふれると「どこにも反論する余地はないが、それなのに何かちがう」というモヤモヤした感覚を抱き、具体的な言説に首肯できないときよりもさらに根強く違和感が生じるのである。
 本題に入ろう。著者は本書において、文学や神の「終焉」を宣言する無邪気な預言者たちへの苛立ちをくり返し表明するが、特に念頭に置かれているのは、この作品がニ○一八年に講談社文芸文庫から出版された際に付されたあとがきを読む限り、柄谷行人の「近代文学は終わった」という文学の「終焉」宣言に他ならないだろう。名指しこそしていないものの本書は柄谷行人を批判した書としての横顔を持っているのである。著者によって暗に批判されている柄谷の主張とは、近代では「文学が特殊な意味を与えられ」ていた故に「特殊な重要性、特殊な価値」があったのだが、現代においてはそれがなくなってしまったというものである(『近代文学の終わり』)。これに対して著者は、近代文学にせよ何にせよ、あるものが終わるというのは実際にはとても難しく、なかなか終わってくれないのが実情なのだという主張を展開する。具体的には、プルーストの『失われた時を求めて』の最終章「見出された時」において「戦争の終わり」に言及する社交界の登場人物たちが、第一次世界大戦が長期化する現実にぶつかって、その言説を変化させていく様を論じていく。しかも待ち望んだ戦争の終わりが、フランスの復興ではなくむしろ衰退を招いたこと、さらに第二次世界大戦において広島と長崎に原子力爆弾が落とされた事実を受け、プルーストの登場人物ではないが、衝撃を受けたサルトルが思わず「人類の終わり」という紋切型を口走ってしまった経緯について書き、サルトルが何を口走ろうとも実際には人類は終わっていない、むしろ終わってくれそうにない現実に論及していくのである。
 フランスの文豪を扱っていく著者の手捌きは華麗なのだが、読んでいて一点、気になったことがある。本書に登場する固有名詞——具体的にはフローベールプルーストサルトル、バルト——がすべて、フランス由来のものであるという点である。著者の論理には反論の余地がない。実際、近代文学にせよ人類にせよ神にせよ、そう簡単には「終焉」を迎えるようなものではないのだろう。「終焉」を口にすればそれはフローベールが批判した紋切型へと堕してしまうだけである。しかし、この事情は果たして日本の近代にも有効なのだろうか。著者の議論は理路整然としたものだが、土台となっているのはすべてヨーロッパの事情である。「終焉」が訪れていないのはヨーロッパの、より限定して言えばフランスの近代文学であるのではないだろうか。文学に限らず、哲学や人類学といった様々な分野を横断して論じている本書は、あらゆるものに言及しておきながら、決して日本については口にしないよう警戒しているように見える。しかし、本書が暗に批判している柄谷行人が「近代文学は終わった」と口にしたのは、『日本近代文学の起源』の延長でなされたものであり、題にもあるように「日本」の「近代」という一時期において文学が終わったということなのだ。つまり、柄谷が宣言した「終焉」とは時代も場所も日本に限られたものであり、ヨーロッパでは事情が異なることを承知でなされたものなのである。柄谷が考慮したこの点を無視する形で、頑なに日本の名を口にしないでなされた批判は、その身振りによって急所を外していることを明かしてはないだろうか。
 この点を念頭に本書の冒頭を読み返すと気づくことがある。本書は「終焉」の不可能性を語ったものであるが、図らずも最初の章に付された題は「無謀な編纂者の死」である。つまり、一つの「終焉」を語ったものに他ならない。ここで「無謀な編纂者」と呼ばれているのは著者が専門として研究するフローベールのことなのだが、十九世紀の文豪であるフローベールの死とは、端的には文学における一つの時代の「終焉」であり、そうであれば本書の主張を裏切るものなのではないだろうか。著者の意図しないところで、本書は図らずもはじめからすでに「終わっている」のである。

 

 

 

おもっていることとやっていること——吉本隆明『マチウ書試論・転向論』

 令和に入ったいまの時代においては吉本ばななの父親と紹介した方が通りがいいのだろうが、かつては、吉本隆明といえば戦後最大の思想家と呼ばれていた。いまでもその評価が覆ったわけではない。本書『マチウ書試論・転向論』は、そんな吉本隆明の初期の論考・エッセイを集めたアンソロジーである。
 本書の全体を貫く思想は吉本の代表作の一つでもある「マチウ書試論」における「関係の絶対性」という言葉に要約される。「関係の絶対性」とは、端的にはコトバとココロの矛盾を突いた表現であり、簡単に言い換えると、「おもっていることとやっていることがちがう」という世間知を定式化したものだと言える。「芥川竜之介の死」において芥川竜之介が死に至るまで思い悩んだのも、「鮎川信夫論」で鮎川信夫が孤独に突き詰めたのも、「蕪村詩のイデオロギー」で蕪村がその革命的な創作において追究したのも、すべて「おもっていることとやっていることがちがう」という矛盾の問題に尽きるのである。具体的にはどういうことか。「マチウ書試論」から引用しよう。

加担というものは、人間の意志にかかわりなく、人間と人間との関係がそれを強いるものであるということだ。人間の意志はなるほど、撰択する自由をもっている。撰択のなかに、自由の意識がよみがえるのを感ずることができる。だが、この自由な撰択にかけられた人間の意志も、人間と人間との関係が強いる絶対性のまえでは、相対的なものにすぎない。

 人間は心が清らかだから人を殺さないのではない。どんなに心が清らかでも、「決して人を殺さない」と強く誓っていたとしても、あるとき、ある関係に入ってしまえば、結果として、彼は人を殺さずにはいられないのである。事前に思っていたことと事後の結果とのあまりの落差を前に、人は立ち尽くす他になす術がない。「おもっていることとやっていることがちがう」とはこういう恐ろしい矛盾なのである。マチウ書(新約聖書の一つマタイ伝のフランス語読み)を含む聖書を精読したドストエフスキーは『罪と罰』においてこの事態を克明に描きながら、著者自身がこの矛盾に躓いている。ドストエフスキーだけではない。吉本隆明もまたおなじ矛盾に躓いて呻き声をあげていたのである。どういうことか。
 本書に収録された作品群を執筆しているとき、吉本は就職した印刷会社で組合闘争に身を投じていた。要するに左翼運動の渦中にあったのだが、その影響で、本書の作品群には、当時強い影響力を持っていた共産党への批判が色濃く織り込まれている。吉本が所属する組合のなかにも共産党員がおり、共産党の支持者がいたはずであり、彼らとの「関係」において生じた軋轢が特に「マチウ書試論」には色濃く反映されている。それは、聖書(マタイ伝)は人の手によって書かれたものだという発想において顕著である。マタイ伝には現実を生きる作者がおり、その作者もまた、現実においてパリサイ人や律法学者、ユダヤ教との間に生じた強い軋轢に苦しめられていた。吉本が指摘するように、マタイ伝にパリサイ人や律法学者を口汚く罵る記述が散見されるのはこのためである。
 いまとなっては聖書の成立過程を云々する発想は特殊なものではないが、戦後の当時においてそれは革新的なものだった。歴史のなかで生まれた思想の書として見たとき、聖書はまったく異なる相貌を覗かせる。その横顔に吉本は自身が渦中に身を投じていた運動を重ねた。そうすることで聖書の背景が鮮明になったとき、吉本は垣間見た光景を次のように書く。

現実が強く人間の存在を圧するとき、はじめて人間は実存するという意識をもつことができる。ここで人間の存在と、実存の意識とは、するどく背反する。たとえば、侮蔑され、遺棄されるもの、苦悩するものがひとびとの罪を代償として心情のなかに荷っているという描写や、魂の疲労によって、かれの眼はみちたりるというような、被虐的な思考の型のうしろがわには、存在の危機を実存の条件として積極的にとらえようとする意識がはたらいている。

 組合運動や思想弾圧といった泥臭い現実のなかにあって、自分がどんなに高邁な理想を抱いていたとしても、実際には矮小な小競り合いをくり返す他ない。「おもっていることとやっていることがちがう」という矛盾に苦しめられる、そういう残酷な世界にあって、侮蔑され、遺棄され、苦悩するそのことが理想の実現に近づく術だとしたらどうだろうか? 「存在の危機を実存の条件として積極的にとらえようとする意識」と書きつけた吉本にはこのような「意識」があった。この「意識」を足がかりに、戦後最大の思想家は第一歩を刻んだのである。そこには「おもっていることとやっていることがちがう」という自身の苦悩があった。吉本を理解する上でその苦悩に思いを馳せることも一つの方法かもしれない。

 

 

従順と非服従——太田靖久『ののの』について

 

 こんにちは。Twitter上で @kawamura_nodoka のアカウントで活動している川村和です。
 今回は今年の文芸書を紹介する「文芸アドベントカレンダー」の十三日目の担当として、necomimiiさんからバトンを受け取りました。文芸書の紹介というより書評の側面が強いので、いわゆるネタバレを気にする方は『ののの』(著太田靖久 書肆汽水域)を一読してから以下をお読みいただくことをおすすめします。
次回はドーナツハンター正井さんです。よろしくお願いします。
https://adventar.org/calendars/5610


 フランスの小説家ジャン・ジュネに『シャティーラの四時間』という作品がある。イスラエルによる支配からパレスチナを解き放とうと奮闘したフェダイーンと呼ばれる若い兵士たちのキャンプを訪れたジョネと彼らとの交流の日々を綴った平和なパートと、イスラエル軍の後ろ盾があったとも言われるキリスト教系の武装集団にフィダイーンを含んだ難民キャンプが襲撃され、女性や子供を巻き添えに無差別な殺戮が行われた事件が起き、たまたま現場の近くに居合わせていたジュネがジャーナリストを装って難民キャンプに足を踏み入れ、事件直後の現場をルポタージュする凄惨なパートとが対比的に描かれた作品である。このなかでジュネは難民キャンプの人々が悲惨だとは書かない。むしろ彼らの陽気さは不幸を突き抜けていたと証言する。なけなしの食料を老いたフランス人に気前よく分け与え、そのことに誇りや喜びを抱くのである。社会がどう見做そうとも彼らは幸福だった、というか社会における幸/不幸という概念の埒外にいた。
 晩年のジュネが受けたあるインタビューのなかで、彼は次のように発言する。質問者が「我々はパレスチナの戦闘のニュースがあたり前になってしまったために、現実でなく非現実と感じているように思う、そのことについてあなたはどう思うか?」と尋ねると、ジュネは、「むしろ私にしてみれば、すべてを非現実に変えてしまうあなたがた(マスコミ)のことを強調しておきたい。」と答える、「あなたがたがそうするのは、そのほうが受け入れやすくなるからだ。現実のキャンプに本物の手紙を運ぶ女よりも、非現実的な死者、非現実的な虐殺の方が結局は受け入れやすいものだ。」
 この「非現実」という言葉を「物語」と読み換えてみよう。テレビや新聞の報道は現実を伝えるのではなく現実を「物語」に変える。「物語」に変換されパレスチナ問題の悲惨な被害者というわかりやすいイメージに覆われた途端に、ジュネが目撃したフィダイーンの明るさは消えてしまい、現実はフィクションになる。ジュネがインタビューで語っているのは、「物語」化という物事をわかりやすくする行為がいかに暴力を孕んで現実を蝕むかということだ。しかもその暴力は人々の死角に溶け込み、自分が暴力に晒されているとは気づかせないようにする力があるのである。
 この隠蔽された暴力を可視化する試みが、新潮新人賞を受賞した太田靖久の短編『ののの』である。
 自転車の通学許可証を首に下げた中学生の男の子が風に煽られ、バランスを崩して倒れた拍子に道端の木の枝に許可証の紐がひっかかり、首を締め上げられて絶命するという事故からはじまる冒頭は、人の死を描いたにしてはどこかぶつ切りな印象があり、死の悲惨さを演出する意図もなければブラックユーモアに傾く感じもしない。事故死した中学生が語り手の兄だということを思い合わせればこの冒頭は出来事に対してかなり距離のある書き方になっていると思われるのだが、このような書き方を通して、読者は出来事のゴロッとした感触を直接手渡されることになる。作者の「物語」化されていない生の現実をそのまま語ろうとする意図が作品の早い段階から明示されるのである。
 作者の姿勢は一貫している。この作品には稚拙に思えるくらいテンプレートな会話が氾濫しているのだが、それはそのような物事を「物語」化する暴力的な言葉が語り手の意識を蝕んでいく様を批判的に描くための手段であり、作者の倫理の現れなのである。たとえば兄の事故死につづいて葬式の顛末が語られるのだが、ここで話を分断するように唐突に本が現れる。葬儀屋の横にあるフェンスで囲われた国有地のなかに、白い本の山が野ざらしにされて捨てられているのである。葬式で交わされる会話はテンプレートなフレーズが氾濫するもので、このような言葉こそが「物語」化を生むのだが、葬儀の会話を断ち切るようにして唐突に現れるこの白い本は「物語」化を生む言葉の象徴であるように思われる。参列者はテンプレートなフレーズを使うことで一人の人間の死を定型表現に落とし込めてしまうことをどこかで自覚しながら、ちょうど野ざらしになった白い本の山を無意識に無視しているように、自分たちの言葉が中学生の事故死を受け取りやすい現実に歪めていくことから目を逸らす。登場人物のこのような姿勢は一貫しており、語り手の兄の命を奪った木が人々の間で「人殺しの木」と呼ばれ、伐採が検討されるくだりで、「大罪は命をもって償わなければならない」「木が人を殺すなんて生意気だ」「あの子には輝く未来があったに違いない」といったいかにもな言葉が飛び交う。当然のように中学校では自転車の通学証明書を首からさげることは校則で禁止されるのだが、語り手はこのような規則が「生涯つきまとう規制で」、「唐突に施行されたり、廃止されたりする不確定なものだったらどうなのだろう」と考え、若干の恐怖を覚える。
 この恐怖は野々山という同級生が家に引きこもるようになった語り手を外に出そうとして訪ねてくる場面の会話に具体的な形で表現される。兄の死後、台風の日に川が氾濫しそうになり、語り手の父親がショベルカーで立ち向かう。土砂を積んで川の氾濫を止めようとしたのだ。しかし、父親は操縦を誤ってショベルカーごと横転し、川に呑まれて帰らぬ人となってしまう。兄につづいて父親までをも失った語り手は家の外に出られなくなるのだが、ここに野々山が訪ねてくるのである。語り手ははじめ訪問してきた野々山を追い払うつもりでいたのだが、彼の高圧的な態度に怯んで思うように行動できなくなってしまう。さらに、気遣うような言葉を投げかけてくる野々山を警戒しながら、心は否応なしに動かされ、慰められたような気持ちになり、挙げ句の果てには涙が出そうにまでなってしまう。ここで野々山は語り手の不登校の理由を父の命を奪った川が怖いからだと決めつけてかかるのだが、彼の言動に不快感を覚えながらも、彼の言葉の持つ力に引っ張られ、語り手は「本当に自分は川が恐いということを理由に学校に行けなくなっているのではないかと思わされてしま」う。語り手が他者の言葉に対して見せるこの反応の仕方は少し特殊だ。素直というか、従順に過ぎる。思えば死んだ兄との会話でも語り手はこの従順さを発揮しており、彼が人の言葉に従ってしまう性質を持った人間であることがわかる。「僕の中で曖昧な感情や想念として渦巻いていたものに付けられた不本意な理由」が、他者の「物語」化を促すテンプレートな言葉によって歪められてしまうのをどうしようもないのである。人の言葉に対するこの従順さがある限り、不確定な他者の言葉で自分の意思や感情を左右されてしまう恐怖からは逃れられないだろう。野々山との会話はこの恐怖が現実のものとなっていく過程なのである。


 営業の女性が商品を売るコツは相手が持つ理想の女性像を瞬時に感じとり、そこに自分を当てはめることなのだという。作中に登場する電話営業の女性、海原知恵はテレアポのコツをこう語るのだが、これは男女関係なく該当するものなのかもしれない。語り手もまた様々な職業を遍歴した末にテレアポの仕事に就くのだが、そこで客が言葉によっていかに惑わされ、不当に高額な商品であってもイメージを上手く提示すれば買ってしまうことを知る。言葉が「物語」化を促して人を蝕む事態を目の当たりにするのである。語り手はかつて言葉の被害者だったが、成長した彼は反対に加害者の立場を経験し、再び家に引きこもる生活に入る。用事がない限り外に出なくなった彼のもとにときおり営業の電話がかかり、語り手に様々な商品を買わせようとするのだが、勧誘の言葉を彼はのらりくらりとかわす。野々山と対峙した頃の彼からは考えられない身振りである。「物語」化の暴力を伴う他者の言葉に従順だった語り手は、テレアポの仕事を経験したことをきっかけにその性質を変化させているのだ。具体的には単行本三十三ページの「★」で章が区切られる箇所の前後で語り手が性格を異にする。『ののの』を読む上でこの点には注意が必要だ。
 語り手の変化を象徴するエピソードとして、単行本の三十五ページに「ずっと昔に見たアニメか絵本の挿し絵の影響」でカラスはくちばしだけが黄色いと思い込んでいた語り手が、道端のカラスを見かけて自分の思い違いに気づくという場面がある。幼い頃の彼ならイメージに負けてカラスのくちばしを黄色だと見間違えただろうが、現在の彼はイメージに捕らわれているのではないかと自らの認識すら疑う姿勢を持っているのだ。この批判精神は海原知恵にも共通して宿るものであり、特に語り手と連れだって明治神宮を散歩する途中で「教育勅語」の口語訳の冊子をもらう場面にそれが如実に現れている。海原は「教育勅語」の記述の一部に強い異和を感じる。それは友達と「お互い、わかってるよね」と言い合える仲になることを推奨する箇所なのだが、彼女によればこの「わかってるよね」には「二人の人がいて、お互いがお互いに対して抱くイメージに少しの狂いもないような感じ」があり、たとえば上司が部下に「わかってるよな」の一言で自分のイメージを押しつけてくるような、「二人の関係においてわずかでも有利な立場にいる側が、その言葉を押し付ける権利を有しているとでもいうよう」な暴力性を秘めているのである。
 彼女の鋭い指摘に襟を正されたついでに調べてみると、作中には引用されていないが、教育勅語には次のような箇所がある。「もし危急の事態が生じたら、正義心から勇気を持って公のために奉仕し、それによって永遠に続く皇室の運命を助けるようにしなさい」——この記述からは嫌でも戦争を連想してしまう。否応なしに出兵させられた人々の面影を宿した暗い一文に見えるのである。このような言葉に対して従順でいれば、結果として、批判する意思を奪われ、戦争に参加させられ、命を落とさなければならない状況に追いやられることになるのかもしれない。それを回避するためにも、人は従順であることを乗り越えて非服従の姿勢に至るべきなのである。少なくともそれが『ののの』という作品において作者が示した倫理だ。
 この倫理観は作品そのものが特定の物語に収束することを拒絶する身振りとして具現化されている。たとえば作中には語り手と海原との恋愛に発展しそうなにおいを見せる箇所や、殺人があったことを疑わせるような描写などが見受けられるのだが、作者はわかりやすい物語に筆を進めることはしない。特定の展開に発展しそうなそぶりを見せるとその都度テキストに亀裂を走らせ、物語化を防ぐのである。この姿勢は、ジュネがマスコミに対して指摘した「物語」化や人を戦争に駆り立てる言葉に対して、非服従を貫く倫理的な意志の現れである。このような姿勢によって、難解になる犠牲を払いつつも、『ののの』は安易な言葉が氾濫する現代にあって、いかに生きるべきかを模索した倫理の書となり得ているのである。

 最後に、作中で特に筆者の印象に深かったシーンを紹介しておきたい。単行本六十一ページに代々木公園で語り手が時間を潰す場面がある。ここで彼の眼前にくり広げられるのは、言葉のいらないジョギングというスポーツ、人間の言語とは別の世界を生きる犬、幼い子供といったもので構成された言葉以前の風景であり、誰も他者に従順さを強いることのない楽園である。当然、語り手はこの景色に感動する。「物語」化を促す暴力的な言葉が跋扈するこの世界にあって、作者は、子供と犬(動物)にはまだ希望があると信じている。子供も犬も言葉に対しては従順ではありえず、非服従を衒いなく実践するからだ。語り手が一度は言葉に関する加害者を経験しなければ従順さから抜け出せなかったというのは見方によってはこの作品の欠点なのではないかと思うのだが、作者はそのようなルートとは別に、子供や犬といった言葉以前の存在に希望を託しているのである。彼らをよく見、観察することにより、加害を経なくても非服従に至る道があるかもしれない、と。六十一ページの風景は、フェダイーンが明るく陽気なように大人の目に眩しく輝いている。この作品にあって例外的に風景描写の濃厚なこの場面は、作者が意図して書き出したものというよりふとした拍子に生まれてしまったもののように見える。だからこそ、「言葉以前の楽園」という言葉(これ自体も「物語」化を促す言葉だ)では括りきれないもの、具体的には「靴擦れをして皮が捲れた夫のかかとに絆創膏を貼っている老婦人」や、「お互い不機嫌な顔」をした「ベビーカーを押す若い夫婦」が書きつけられる。これらは年齢こそ隔たっているが夫婦という共通項があり、たとえばテレアポでその場限りの会話を重ねるような関係とは違って、どちらも深い関係性をにおわせる描写なのである。語り手はテレアポという仕事で加害者を経験した末に非服従に至った。想像だが、「お互い不機嫌な顔」を晒し合うような夫婦は、その関係のなかで加害と被害を激しく循環させながら濃いつながりを生み出しているはずである。思うに、「物語」化を促してくる暴力的な世界にあって、そのように個人と個人が深い関係を結ぶことを希求する心が作者にこの作品を書かせたのではないだろうか。であれば、海原を終盤で退場させず、恋愛とは別の形で、語り手と彼女との関係性を突き詰める方向もあったのではないかと考える。彼女との関係は語り手に重い不快を引き起こし、場合によっては物語に亀裂を走らせる作者の姿勢に反する展開が待っているのかもしれないが、しかしそれでも、思うようにならない他者から逃げて親しみやすい死者に身を委ねるのは、「物語」に従順であることとそう変わらないはずである。「お互い不機嫌な顔」を晒した末に、他者との関係において「物語」への従順さを乗り越えたところに、真の非服従がある。もちろんこう唱える筆者の言葉も作者に対して『物語」化を促しているだけであり、作中で批判されている陳腐でテンプレートな揶揄の域を出ないのかもしれない。しかしその批判を受けたとしても、他者との関係において生きたいと願う心が筆者にはある。それが筆者の考える倫理なのである。

 

 

(文芸ファイトクラブ2参加作品) 遠い感覚——柴崎友香『わたしがいなかった街で』について

 

 紙面に限りがあるので引用して詳しく解説することは控えるが、『わたしのいなかった街で』の冒頭は語りの現在時が横滑りしていき、「一九四五年→親戚と同席した車中→その十年後」というふうに語り手にとっての「今」が移動していくという特異な文体ではじめられている。そのような文体に乗せられながらテクストを読み進めていくと、距離に関する言説が必ず時間とセットで表現される(具体的には目的地までの距離を表現する際は必ず「徒歩で何分」、「電車で何分」といった書き方がされる)点が目につくようになる。この二つの特徴によって読者の中には「距離=時間」という図式が生まれ、「大阪は電車で何時間だから遠い」というのと、「学生時代のあの瞬間は何年前だから遠い」というのが同じ次元の感覚になっていくのである。少なくとも語り手の「わたし(平尾)」はそのような感覚を生きており、集中してこの小説を読んだ読者にもまた同じ感覚が共有されることになる。
 このような文体は作者に否応なく時間への集中力を要し、ある時点から今現在はどのくらい遠い——時間が経ったか——を意識せざるを得なくさせる。こういう集中を強いられた中で「徒歩何分」「電車で何時間」という表現に出会えば、自然と距離に使う感覚で時間を捉えるようになるだろう。距離は時間で計算するものだから時間と距離は無関係ではないが、一九四五年の六月を距離的な意味での「遠い」と捉えるのはふつうの感覚ではない。ふつう、「遠い昔」といった表現をした場合、発言者の意図としてはその「遠い」というのは決して辿りつけないこと、不可遡であることを意味しているはずだが、柴崎友香の感覚では一九四五年の六月が「遠い」というのは距離的な意味での「遠い」と同じものであり、歩く努力を惜しまなければいずれ辿りつけるものなのである。作品全体に漂うこの感覚は自我を稀薄にさせるのだが、それは「わたし」が引越し先のマンションでテレビやインターネットの配線を繋げに来た業者にパソコンのメモリが少なくなっているとアドバイスされる場面に端的に現れている。人の苦境を思いやれる、と言って「わたし」は業者の親切に感動するのだが、ここで「わたし」が感動した「思いやり」というのは他人のことを自分のことのように感じる力だ。共感ともいう。これは言い方を変えると自他の境界が曖昧であるということであり、他人と自分との立場が容易に入れ替わったり、自我が絶対的なものではなかったりする感覚に繋がっていく。そのためこの小説では中盤から一人称の語り手だった「わたし(平尾)」ではなく、途中から作品に登場した葛井夏という人物が主役のような重みを持ちはじめ、作中で最も美しい場面に立ち会うことになる。その場面とは、休暇を使って友人たちと瀬戸内海に出かけた葛井夏が、友人たちに先立って一人で大阪に帰る高速バスの中、山の麓に広がる棚田が車窓に現れる。棚田ではその土地で何十年も汗水を流して生きてきた農家の老夫婦がふと仕事を止めて茜色に染まった夕陽を仰ぎ、美しい空に感動している。これ以上素晴らしいことなど人生にはないに違いない、と葛井夏は胸を打たれ、その老夫婦の幸福は、何年も何十年も田んぼに手を入れ、暑さや寒さや台風を経験してきた人だけが得ることができるものだと考える。

わたしはこれからも、たぶん、田んぼを耕したり毎日自然と対峙しながら誰かと共に何十年も過ごしたりすることはない。あの場所で体験できるこの世界の美しさは、わたしは得られないと思う。たとえ彼らの年齢になっても、得ることはできない。

 しかし葛井夏はそのために悲しむわけではない。

ずっとわからないかもしれないけれど、それでも、わたしは、自分が今生きている世界のどこかに死ぬほど美しい瞬間や、長い人生の経験を噛みしめて生きている人がいることを、少しでも知ることができるし、いつか、もしかしたら、そういう瞬間に辿り着くことがあるかもしれないと、思い続けることができる。

 葛井夏のこの思考は「わたし」のものではないし、遠く離れた場所にいる「わたし」がこの美しい瞬間を知る術もないのだが、人が「距離=時間」という感覚に生きているのなら、「わたし」は未来から翻ってこの瞬間に辿り着くことができる。少なくともその可能性を信じることができるのである。この可能性は作中の登場人物の中にではなく読者の中にこそ生起するものなのだが、ここでこの作品のテーマともなっている、「わたし」が作中でくり返し見る様々な戦争の映像のことを思い出そう。「わたし」はそこで死んでいく人たちが自分ではないこと、自分が安全な環境でテレビを見ている側の人間であることを不思議に思い、半ば画面の向こうの彼らに同化する形で、幸福を知ることなく死んでいってしまった人たちの悲しみを思う。しかし、『わたしがいなかった街で』というテクストはこう語りかける。棚田の夕陽を知ることもなく死んでいった人たちがいたとしても、夕陽は確かに存在していた。それがすべてではないか。自分の存在より美しい夕陽を眺める老夫婦が確かにいること、それ以上のことなどないのではないか、と。この途方もない作品において戦争の悲しみは浄化されているのである。

 

兄弟に寄せるふたこと


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 実家を出てひとり暮らしをはじめてからしばらく経つが、我を失った寝起きの頭が、かつて部屋にあった子供用の二段ベッドにいると錯覚し、弟の気配が下にないのをあやしむときがある。そういう朝にはホームシックとまではいかないが、感傷的な気持ちで胸がいっぱいになって、赤子の頃に母のおっぱいをあてがわれたような満足を覚え、母が好きだった荒井由実をかけてみたり、音楽のやさしさに誘われて微睡みに引き戻されたり、つかの間に覚醒を取り戻し垂れていた頭を起こしたりする。こういう様を船を漕ぐというが、眠りと目覚めで振り子を描く当人に意識がないわけでもないものらしく、黒い海に浮かぶ船の中、曲がりくねった細い通路に立つ自分と出会った。そこには彼の他に、夢特有の理論から殺人犯だとわかる男がいて、目の前に立ち塞がっていた。刈り上げの頭に残った毛先を金に染め、目尻の下がった一重の瞳でこちらを待ち構えている。
 逃げなければ殺されるかもしれないのに、筑井和人は対峙した相手に兄弟へ向けるような視線を与えている自分に気がついた。これから彼はこの男と揉み合い、汗と血にまみれることになる。荒い息の交差が頂点に達し、格闘の末、死ではなく何かあたらしいものが生まれるのではないか、そんな予感が恐怖から和人を解放してくれていた。さあ、来るんだ、と彼はつぶやく。男の影が彼に覆い被さり、いつの間にか、外から二人を眺めている彼は小さな子どもになっていて、乱闘の中にある兄弟から目を逸らすと、そこは母方の祖父母の家で、闘いとはほど遠く、祖父の寝室に布団を敷いて横になっていた。お父さんお母さんに用事があって預けられたんだ、と和人は思った。お母さんの方のじいじとばあばのお家に泊まらなくちゃいけないんだって。用事っていうのはね、三つ年の小さな弟のシュッサンだった。シュッサンて、お母さんのお腹から生まれてくることなんだって。人間がお腹から出てくるなんて、変なの! じいじの部屋では梁に掛かった七福神のお面が和人を見下ろしていた。右手の梁の下で窓が月に明らみ、お面に微かな陰影をつくり、不気味な表情を浮かべさせている。幼い和人の目には七福神は鬼だった。
 怯えを孕んだ連想からだろうか、彼の意識は枕の先の障子へと向けられていた。障子の奥は書斎になっていて、祖父の机と資料や本が棚に並んでいる。そのどこかに出刃包丁が隠れていて、ぼくが寝ているあいだに誰かがそれを取りにくる。ぼくは喘息で身体が弱いから、間引きするためにここへ来るんだろう。弟の方ができる子だから、間引かれて当然なんだろう。心失者には育てる価値がないそうだ。ほら、足音が聴こえてくる。きっと鬼の仲間だ。廊下の板を鳴らして、左手の襖を開けて、ここへやって来るんだろう。いや、もうすぐそこまで来ているんだろうか。足音は徐々に徐々に近づき、間もなく部屋の襖を開いて、暗闇を背後に従えた鬼の面がぬうっと現れる……
 たわいもない夢にようやく別れを告げた和人は、眠りに引きずられた目を辺りに彷徨わせ、布団で寝ていた割にはずいぶん天井が近いと思ったり、茶色いはずの畳がどうも白っぽいなと感じたり、簡素な祖父の部屋にしては物が多すぎると訝しんだりして、親しんだ部屋にいる自分を見出すまで愉快な混乱を味わった。つかの間とはいえ、この瞬間の彼は子供でも成人でもなく、ベッドとフローリングの我が家にいながら同時に祖父の元にいた。事物AはAでしかないという確固たる現実にヒビを入れていたのである。こういう体験の後では現在という揺るぎない概念はあやしくなって、眠る前と起きた後でも世界が地続きであり、身を起こした途端に別の人間になったり、中世や原始の時代を生きていたり、過去のどこかで訪れた民家や宿が立ち現れてくるようなことはないと確信できなくなる。そういえば、プルーストの小説にも似たようなことが書いてあった。事物の不変性は、われわれが事物の不変性へ向けた根拠のない信頼によって成り立っているのではないだろうかというようなことが。何かの拍子にそれを信じられなくなり、ついに信頼を取り戻せないようなことがあれば、世界はアメーバーのように掴みどころのない変幻自在な姿を現すかもしれない。
 起きあがった彼は親しんだ部屋に自分がいることをまだどこか納得できない気分のまま、日常の家事に取り組んだ。昨晩の洗い物を片づけ、溜まった洗濯物を回し、掃除機をかけるかどうか迷いながら寝起きの混乱を振り返り、あの夢がなんだったのかとフロイトの真似事をはじめる。どうにも気がかりな夢だったのである。もう半ば内容を忘れてしまっているが、あの夢は錨のように僕を夜の意識へ留めようとする。出刃包丁が出てきたという記憶の残滓が朧げに脳裡に浮かび、最近、硬いカボチャを切ろうとしたら包丁の刃が欠けたので新しいものを買った、そのことと何か関係があるのだろうかと疑った。古い包丁はなんとなく捨てにず取ってあり、台所の棚に眠っている。少し錆びた安物のこの包丁には、もう価値がない。そもそも使い出した当初から切りにくいと愚痴ばかり溢していたくらいで、愛着のある道具というわけでもない。それを無能な自分になぞらえて親近感を持つ趣味も和人にはなかった。それなのに捨てずにいるのがなぜなのか、自分でもよくわからない。
 新しい包丁は安いのによく切れた。ステンレス製で錆びることもない。柄の部分と刃とが一体で、銀一色の見映えもいい。カボチャの皮も平気で通り抜ける。勢い余って小指の端に赤い線まで走らせた。深い怪我ではないが地味につづく意地の悪い痛みが残った。和人は小指に絆創膏を巻き、前のやつなら手に当てたとしても無傷で済んだのにと思った。価値があることも考えものだ。
 掃除機を断念した彼は紅茶を淹れ、焼いたパンをカップに浸しながら考えた。今朝の夢は今年の正月に祖父母の家で行われた親戚の集まりを元にしたもので、祖父母のところへ向かう前に実家に帰っていた僕は、今みたいに紅茶を飲みながら本を読んでいた。居間の炬燵に寝転び、長大さで知られる小説の一巻目を楽しんでいると、出かける準備をしなさいという母親の声に読書を遮ぎられた。
——おじいちゃんのところに行くんだから、そんなだらしない格好じゃダメよ。早く着替えてきて。
 しぶしぶ本を置いて立ちあがり、クローゼットのある二階へと階段を登った。母には逆らえない。踊り場でくの字に曲がり、パジャマを脱ぎながら一年ぶりに会う祖父のことを考える。九十を迎えた祖父は去年のあいだに大きな手術と親しい友人の死とをいっぺんに経験していて、気力も体力も衰えをみせているらしい。そういえば、踊り場の小窓にかかっていたレースのカーテン、花柄の上品なあれは祖父から贈られたものだと聞いている。カーテンに濾過された夕陽が木漏れ日のような模様を持ち、何かを求めて踊り場の床を彷徨っていた。光はゆらゆらと儚げに泳ぎ、右に迷っては左へ傾き、僕が通り過ぎても小波ひとつ立てることなく漂いつづけた。着替えを済ませて再び踊り場に差しかかると、木漏れ日はついに何かを見つけたのか、そっと姿を消していた。暮れになって日が沈んだのである。
 一階では夕飯の約束に間に合わくなるという母の声を号令に、父と弟がバタバタしはじめていた。父はエンジンの調子が悪い車を調教するために先に出て、せっかちな弟がそれにつづく。先ほどまでだらだらしていたのが嘘のようである。残った和人と母が荷物をまとめて玄関に差しかかると、靴を履いているときに母に呼び止められた。
——病気のこと、おじいちゃんに言わないでね。友達が亡くなったってナーバスになってるのに、孫がパニック障害で休職してるなんて聞いたら、おじいちゃん卒倒しかねないわよ。
——わかってるよ、と彼は答え、母と共に車へ乗り込んだ。


 免許を持たない和人にとっては久しぶりの乗り物だった。四角い鉄の塊に閉じ込められて過ごす到着までの四十分を耐えられるかどうか、彼には確証がなかったが、幸いにも父の運転に身を委ねることは身構えていたほどの苦痛にはならなかった。むしろそのとき彼が感じていたのは懐かしさだった。家族のお喋りを離れ、発作を起こさないようひとりでじっとしていた彼は、夢に出てきた幼かった頃にも同じような姿勢で窓にもたれ、テールランプの赤い尾を長く溶かしていく対向車線の残像たち、順に背後へ飛んでいく等間隔に並んだ街灯、遠くに見えるショッピングセンターの宇宙船のような輝き、ネオンの煌めき、そんな光景を眺めては幼い空想を逞しくさせていた。あの頃の僕にとって車に乗るとはワクワクした冒険の予感に飛び込むことだった。ところがそんな記憶と重なるようにして、現在の僕の瞼には大学を出た後に入った会社での仄暗い場面がこびりついている。たとえば深夜の一時に椅子を蹴られたときの衝撃や、上司の罵声や、帰りの電車で肩をぶつけてきたサラリーマンと喧嘩したことや、相手も僕も青白い疲れた顔をしていて、頬を二度も殴られたにも関わらず最後には相手への同情だけが残ったことや、その一件以来プラットホームに立つと激しい動悸に襲われるようになり、奈落を覗いて身が竦むときのような感覚が治まらなくなったこと、こういう諸々の苦い味が喜色に染まった過去を浮かべるあいだも舌の上に居坐るせいで、とてもではないが家族に交じって思い出話に興じる余裕はなかった。
 今の和人には、無表情で不気味な人混みが虫の群生めいた稼働をくり広げる駅は巨大な暴力だった。血管のように路線を張り巡らせた東京全体はひとつの獰猛な獣だった。心療内科に通うようになって悟ったのだが、彼のような症状に苦しむ患者はそれこそ虫の数ほどおり、彼らの存在そのものが行き過ぎた資本主義の加速に軋む人間の悲鳴のように聞こえてならなかった。もちろんこの社会を構成している大多数は健康で、世のスピードについていける者たちであり、そういう彼らは日本の首都に福を見るだろう。一方で同じ場所を鬼と見る者もありふれるほどおり、パニック障害の発症はたまたま後者の日陰に入ってしまったというだけのことなのだが、そのおかけで敬愛する祖父に余計な隠し事をせねばならないのがやりきれなかった。できれば祖父には嘘をつきたくなかったのである。
 祖父母の家には叔父一家が先に来ていた。新年の挨拶もそこそこに、叔母さんと祖母が立っていた台所に母が加わり、九人分の夕飯を用意しはじめる。もたもたしていた我が家の到着は夕方の五時を過ぎていて、七時に出前を頼んだという寿司までに時間がなかったのである。そんな様子をよそに叔父と従兄弟のヒカルと弟は和室に入って炬燵を囲み、父はタバコを持って外に出ていた。父は家の中で吸おうとして母に睨まれ、肩身が狭いと祖母に愚痴りながらたった今通り過ぎてきたばかりの玄関に向かったのだが、妻の親とそんなに気安く話せる立場のどこに肩身の狭さがあるのかと、喘息のある和人は思う。いずれにせよ、結果的には女性だけが台所で働いている。誰もそのことに異議を立てない違和感から手伝いに行こうとすると、背中から祖父に呼び止められた。
——かずくんは最近、何してるの?
 思わず祖父の顔を見た。知っているのだろうか? あくまで紳士然とした祖父からは何も窺い知ることはできず、細い顔から真意を汲もうとするのは壁のシワからものの輪郭を読み取ろうとするようなものだった。微かな模様をその気になって見つめれば、なんでも描くことができてしまう。
 彼は辛うじて語学の勉強をしていると答えることができた。幸い、それは嘘ではなかった。復職が叶わない場合に備え、資格を取ろうとしていたのだ。祖父には状況だけ省いてそのことを伝えた。
——何かの役に立つかもしれないし、本が好きだから原文を読めるようになりたいんだ。
——そう、それはいいね。私もね、若い頃はずいぶん勉強したよ。銃後はやっぱりアメリカが強かったし、技術の仕事に就いていたから英語ができないと話にならなかったんだ。それで、かずくんからしたら曽祖父にあたる私の父に頼んで、参考書をどっさり買ってもらってね。当時はそういう本は高かったけど、高い本を買う気前の良さもみんな持っていたんだね。今は異口同音に節約節約だけど。
 祖父は饒舌に語る言葉で背を押して、台所に向かおうとしていた和人をリビングに引き戻し、そのまま和室の集まりに引き込んだ。
 すりガラスの引戸を開けると、和室では長方形の炬燵を隅に立てかけて、中央の空いたスペースに左から叔父さん、いとこのヒカル、弟の順で並び座禅を組んでいた。
——何やってるの? と祖父が呆気に取られる。
——おとうさん、マインドフルネスですよ。シリコンバレーではこれが大流行しているんです。脳が活性化して仕事の効率が上がるんだそうですよ。
——よくわからないけれど、とりあえず炬燵を戻しなさい。
 三人は言われた通りにして、新参者二人を迎え入れた。
 あらためて炬燵を囲む。祖父と和人は和室の入口から一番近い辺に並んで腰を下ろし、和人から見て右に弟、対面に叔父さんとヒカルが座った。
——おとうさん、お酒でも飲みますか? と誘われた祖父は、身体に障るからと言って断った。叔父さんは——そうですか。ではテレビでもつけますか、とリモコンに手を伸ばす。夕方のワイドショーが東名高速帰省ラッシュがはじまったと告げていた。
——無事に名古屋に帰れるか不安になってきた、とヒカル。——おとうさん一人の運転だからね。早く免許を取ればよかった。
 ヒカルはたしかようやく今年、成人式を迎えるはずだった。薬学部に通っていて、六年制の大学だからあと四年は学生でいられた。そんないとこが和人には羨ましかった。
——勉強で講習場に通う余裕なんてないだろう。大学の学費は高いんだ。四年制の倍はかかる。ちゃんと卒業して薬剤師になってもらわなきゃ困るんだからな。
——わかってるよ。卒業してちゃんと稼いで、車でも家でも買ってあけるよ。
——別にそんなものいらないさ。ただちゃんとやってもらいたいだけだよ。
 親子の会話をよそに、テレビは次のニュースに移った。
 相模原殺傷事件の犯人が法廷に立つ姿が絵になって画面に提示されている。傍らのアナウンサーがはじまった裁判についての説明をした。相模原にある障がい者福祉施設で、元職員の男が深夜、施設に侵入し、寝入っている入居者を次々と殺害したこの事件、大和市で一人暮らしをしている和人にとっては目と鼻の先の出来事で、酸鼻を極めた血腥さが部屋まで届いてきそうに思えた。喘息だった和人には気になっている事件だ。
——新聞は毎日欠かさず読んでいるんだけど、私の歳になるとどうにも世間に疎くなってねえ、どうしてこんな事件が起こるのかまるでわからなくなる。犯行は許されるものではないけれど、犯人の考え方に共感できる部分がまったくないわけでもないという声もあるそうじゃないか。私にはそれが信じられない。
 祖父がそう言うと、
——「障がい者には生産性がないから」というのが動機だとか言ってましたね、と叔父さんが応えた。
——生産性というのが私にはわからないんだ。大戦前は生産性なんて誰も考えなかった。生産性というのは私には戦中のスローガンみたいに聞こえるよ。誰ひとり怠ることなくひとつの目的に向かおうというのは、それが誤った目的のためならとんでもないものになる。でも一部とはいえ、昔は老人の知恵や経験が間違いへのブレーキになった。大戦に勝つためにも彼らの言葉は必要だったけれど、その言葉の中に世の中の流れを止めようと抗うものもあったんだ。老人は武器になったんだよ。今じゃあたらしい技術や文化が盛んに生まれて、ついていけない年寄りには立場がない。生産性がないから標的にされるなら、私みたいなおじいちゃんも殺されなきゃならんね。
——介護の現場はそれこそ戦場めいているそうじゃないですか。ストレスと疲労のあまり頭のネジがどうにかなるっていうことはあり得ないわけじゃないんでしょう。そういう意味では犯人にも同情すべき点があるのかもしれないと僕は思いますよ。もちろん殺人を肯定するわけじゃないですけど。それに擁護するわけじゃないですけど、僕は少なくとも子供たちには健康でいてほしいですよ。生産性だろうとなんだろうと、ないよりはあった方がいいに決まっている。元気で働けるのはいいことですからね。
 つづけて叔父さんは薬学部に通う隣の息子に顔を向け、
——それに薬剤師になろうってやつが不健康じゃ困る。ヒカルには頑張ってもらわないと、と言った。
 わかってるよといういとこの声を聞きながら、和人の脳裡に浮かんでいたのは、「生産性」というなら僕も祖父と一緒に殺される側の人間に入っているということだった。喘息に苦しんでいた頃、自分には価値がないと、僕自身がそう思っていた。母の顔と思い出したくない記憶が浮かびかけ、彼は慌てて意識を逸らした。
——かずくんはどう思うの?
 と、祖父がまっすぐな目をこちらに向けてきた。彼はぎくりとした。秘密を脅かされる不安が風船のように膨らんでいき、破裂する瞬間を思って余計に大きくなり、脇の下に気持ちの悪い汗が滲んできた。この場で発作を起こしたらどうなるだろう。事件について僕にも意見がないわけではなかったが、自分を守るためにも曖昧に口をもごもごさせる以上のことはできなかった。


    2

 

 和人の口振りが曖昧だったために、話題は自然と次に流れ、卒業を控えた弟の就職先が俎上に乗せられていた。この四月から弟は不動産管理を請け負う会社へ通うことになっていたが、下り坂と化しつつある不動産業に祖父の不安が転がり出し、資本金、業績、社員数といった細々とした質問がはじまった。祖父の心配は自分の身よりも孫の将来なのである。
 弟が助けを求める視線をこちらに送り出した頃になって、ようやくニコチンの臭いをまとった父が上着を脱ぎながら和室に入ってきた。空席にドシンと腰を落とし、はあと長く息をつき、冬は寒い、と当たり前のことを言い放った。そうかと思うと出し抜けに、父は斜めから和人を刺す話題を出してきた。
——最近、俺は仕事が忙しいんですけど、こいつは暇してるから、免許でも取ってくれたら買い物の足役を交代してもらえるんだけどねえ、身体を考えたらそうもいかないから困ったもんですよ。
 父がこちらを指してそう言うものだから、祖父が驚いた顔をした。
——あれ、かずくん何か病気なの?
 IT系の会社で忙しくしていることになっているから、過労を心配したのであろう祖父は、すぐ右隣に座っているにも関わらず答えを聞くために身を乗り出した。
——いや、大丈夫だよ。病気じゃないから、そう言いながら炬燵の中で父の太い脛を蹴った。
——ブラック企業ってよく聞くじゃない。かずくんのところがそうなんじゃないかって心配なんだよ。
——ぜんぜんそんなことはないよ。今は閑散期で、有給が貯まってたから休んでいる日が多いだけ。病気なんかじゃないよ。
——もし時間があるなら、と叔父さんが割って入った。——名古屋まで遊びにおいでよ。最近は僕も仕事が落ち着いてて、家に一人でいることが多いんだ。ヒカルは大学だし、エリも帰りが遅いうえに夜勤があるからね。
 看護師をしている叔母さんは滅多に休みが取れないらしい。和人が都合がついたら是非、と答えていると、
——それより本当に病気じゃないんだね、と祖父が話を戻した。
——本当に大丈夫。
——もう去年になるけど、大きな手術をするために一月も入院したんだけどね、病院ってやっぱり嫌なものだよ。エリさんには悪いけど、私はできるならもう行きたくないね。通院は仕方ないにしても入院は嫌だ。だからかずくんが大丈夫ならいいけど、本当に、身体には気をつけてください。
 うん、ありがとうと答えている横で、入院するような病気じゃないのはよかったよな、と父がまた嘴を挟む。幸い和人を挟んだ先にいる祖父の耳には届いていないようだったが、どういうつもりなのかと左を睨むと、しまったという顔にぶつかった。わざとではないらしいが、どうしても僕の病気を話題にしたいらしい。
——ねえ、寿司まだかなあ。お腹すいてきちゃったよ。
 ヒカルがそう言うと、弟が聞いてこようか? と膝を立てる。いいよいいよ、そんなつもりじゃなかったんだからといとこが気を遣ったので、好機とばかりに和人が立つと、祖父に引き止められた。慌てなくてもじきに来ますよ、と言うので、それをおしてまで台所に行くわけにはいかなくなった。どうやら父のつくった窮地からは簡単には脱せないようだ。がっちり鎖で繋がれているみたいだと和人は思った。
——ところで、俺が戻るまでみんなでなんの話をしてたの?
 誰にともなく父がそう尋ねたので、血腥い話題が戻ってきた。
——ぜんぜん関係ない話かもしれないけど、と父が言った。——その話を聞くと地元の話を連想しましたね。
——地元というと、高知でしたか、と叔父さんが確かめ、父がうなずく。
——ガキの頃ですがね、田舎の風習なのか知りませんけど、十から十八の男子は青少年消防団というのに入れられるんですよ。なにしろ四国でも特に外れにある町でしたから、火事が起きてもすぐには消防車が来ない。そこで自治体の中で火が上がったとき、消防士が到着するまで応急処置の消化活動をするために若い野郎どもが駆り出されるんです。消火活動といっても川からのバケツリレーでこれっぽっちの水を引っかけるだけですから、どれほど効果があるのかって話ではあるんですが、参加する当人はけっこう真剣なんですわ。これができて初めて一人前の男だと認められる、というような感覚があったんですね。
——イニシエーションってやつだね、と和人が言うと、——また難しいことを言う、と弟が釘を刺した。
——なにしろ狭い田舎のことだから、消防団の中には俺みたいなその辺のガキから地主の息子だったり市長の甥だったりといった面々がいっしょくたになっていたんです。そういうやつらはふだんは偉そうにしているんですが、消防団の中には独特の雰囲気があって、ここでは誰もが一団員でしかないわけなんですね。俺が所属していたときに火事は一度だけしか起きなかったんですけど、実際、いざとなると地主だろうが市長だろうが運べるバケツの数は変わらないわけです。むしろそういうやつらより屈強な漁師の息子なんかの方が重宝された。つまり、実力で評価される平等な環境だったんですよ。しかし一度その環境を出てしまえば、貧しい家の子は貧しいまま、大半は職に就けずにフラフラするだけで、それが嫌で俺は東京の大学に進んだんだ。消防団を卒業する頃につくづく感じたんだけど、人間が平等っていうのはバケツを運ぶときの人数としての話であって、本当の意味でも平等なんて世の中にはないんだってことだよ。
——その話が事件とどう関係するの? とヒカルが訊いた。
——犯人は「障がい者には生産性がない」から殺したって言うんだろ。それで思い出したんだけど、消防団には当時、デク坊って呼ばれてる男の子がいてね、今ならたぶん自閉症かなにかと診断されてたと思うんだけど、なんというか、ちょっと頭の弱いやつだったんだ。誰が考えても無理だとわかるのに、地元のルールだから、差別はよくないっていうんでデク坊も無理やり消防団に入れられていた。でも、自分ではなにも判断できないようなありさまだったから、はっきり言って足手まといにしかならなかったんだ。根気強く言葉で説明する寛容さが誰か一人にでもあればよかったんだが、あいにく田舎にそんなものを持ち合わせているやつはいなかった。どうも言葉を放棄したとき、人間は暴力に走るらしい。殴る蹴るからはじまって、みんなで脚と腕を掴んではずた袋を放り投げるみたいに川に突き落としたり、生のザリガニを食わせたり、そりゃあ酷かったね。いぬみたいな扱いだったよ。それなのにデク坊は消防団の集まりには必ず顔を出したから、やっぱりちょっと頭が弱かったんだな。そんなやつの傍で、俺たちはふだんの身分の壁を越えて団結していった。あるいはデク坊をいじめることで一つになったのかもしれない。消防団では働きさえすれば平等に扱ってもらえるわけだ。逆に言えば働けないやつには平等がない。事件の犯人の発想はこれと同じだなってと思ったんだよ。田舎のガキのルールと一緒だなって。
——障がい者の方が交通事故で亡くなった事故の裁判で、その人が生涯稼ぐはずだったお金を賠償金として算出したら、ゼロだったという話を聞いたことがあります、と叔父さんに言い、——そういうことです。ひどい話ですよ、と父がうなずいた。
——なんか、暗い話ばっかりじゃなくてもうちょっと明るいことを話そうよ、とヒカルが根をあげる。
——おお、悪かった悪かった。じゃあ野生のイルカの話はどうだ。
——野生のイルカ? なにそれ?
——話してやれよ、と父は和人にバトンを投げたので、まだ父方の祖父が生きていた頃に連れて行ってもらった、高知の波止場を思い出した。
——僕が中学生のときだから、もう十年は前になるのかな。高知の海岸に野生のイルカが現れるって話題になったことがあるんだよ。テレビでも取り上げられたりして。それで四国に里帰りしたとき、向こうのおじいちゃんに連れていってもらったことがあったの。行ってみたら、あれはどういう人だったのかな、波止場の手前にアロハシャツのおじさんがいてね、イルカを見ようとする人たちを整列させてたんだ。そのおじさんが縁日みたいに声を張り上げて、イルカは呼べば波止場までやってきて、運がよければ頭を撫でられるって前口上みたいなことを言うんだよ。本当かなあと僕は思ったんだけど、やっぱりワクワクもした。それで並んで、イルカの頭を撫でにいったんだ。野生のイルカって見たことある? とヒカルに問うと、首を振られた。——野生のイルカってね、岩にぶつかったり他の生き物と喧嘩したりするからなのか、勇ましい傷が至るところにあって、ヤクザみたいなんんだよ。頭の表面は柔らかいんだけど、芯は堅くて、見た目は厳ついのに撫でるとキュウキュウ鳴くんだ。僕はなんだか変な気分になって岸辺から引き返した。そうしたら例のアロハシャツがどうだったって陽気に訊いてくるから、僕は「うん」なんて答えてそのおじさんを見た。そのときになってようやく気づいたんだけど、そのおじさん、右手に小指がなくて、びっくりして「おじさんその指どうしたの?」って訊いたら、「イルカに喰いちぎられたんだ」って言ってワハハと豪快に笑うんだよ。向こうのおじいちゃんもそれを聞いて大笑いするんだけど、僕は単純に怖かったね。
——それはおもしろい体験をしたね、と叔父さん。
——実はこの話にはつづきがあるんです。イルカで有名になった波止場なんですけどね、どこぞの企業がそこにホテルを建てるって言って、土地を買い占めたんです。僕が行った次の年にはもう工事をはじめて、地元の岸を波止場だけを残してそっくり観光施設に入れ替えてしまおうっていう計画だったみたいなんですね。イルカで話題になったチャンスに、過疎化した地域の活性化のためホテルをつくるというのが名目だったんですけど、結果的には工事のせいでイルカは現れなくなって、イルカを目当てにしていた観光客もいなくなり、風船に穴を空けたみたいにあっという間に賑わいが消えたんです。結果としては町にシャッター街と空き家が増えただけだったんですけど、ホテル自体も数年で撤退されて、その土地は今は巨大な駐車場になっているんです。ほとんど車のない伽藍堂です。その伽藍堂から波止場だけが不自然に突き出している。なんだかすごく象徴的で、自然を商品のように消費することには根本的な矛盾があるっていうのがよくわかりますよね。人間もまた自然だ。
——また難しい話になってきた、とヒカルが不安げな顔をし、——お兄ちゃんに話を振ったおとうさんが悪い、と弟が小言を言った。そこに祖父が割って入って、——それじゃあ気を取り直して、写真でも撮りましょうか、と切り出した。
 みんなの応えを聞くより早く、祖父は膝をバネにして立ち上がっていた。


 号令がかかり、キッチンから女性陣三人が無理に呼び出され、和室は八人を詰め込んでギュウギュウになった。祖父はカメラを取ってくると言い残し、居間を出て廊下の板を軋ませた。ギシギシ鳴る足音を耳にすると、残された八人は仕方ないとあきらめ、アサヒと叔父が並んでいた辺りに整列し、全員で二列になって祖父の帰りに備えた。——またはじまった、と祖母から洩れる。それを皮切りに、——好きにさせてあげましょう、と叔父が言い、母が——化粧を直しておけばよかった、と嘆き、父がポケットを弄って——あ、ライターがない! と騒ぎはじめた。
 家族写真を撮ることは、毎年の祖父の使命になっているようで、ふだん寛容な祖父であっても、このときばかりは誰にもカメラにふれさせない。昔の人はカメラが命を奪うと信じていたというが、黎明期からカメラに接してきたであろう祖父にはデジカメの操作すらお手の物で、一家の中で一番のカメラマンだったから、シャッターを人に任せないのは賢明でもあった。命を奪うどころか逆に生きいきしている。
 三脚を脇に抱えて戻ってきた祖父は、急ごしらえの整列をフレームに収まるように調整して、シャッターのタイマーを設定し、和室の入り口に拵えた撮影所から、小走りに前列の端に加わった。フラッシュが三度焚かれ、その度に祖父はカメラと列とを行き来した。振り子のように滑らかな動きはとても九十の老人には見えない。急な撮影というつかの間の緊張から解放された面々が計らずも上気するのを他所に、あとはよろしく、と言い残して、健脚を見せながら祖父は自室に引きあげた。これから写真を現像するつもりなのである。
——じっとしていたら立ち眩みがしてきちゃった。
 一座の隅にいた母が額を抑えた。
——大丈夫ですか? エリさんがそう言って母を座らせる。——貧血かもしれませんね。
——ええ、ちょっと安静にしたら治ります。最近、こういうことが何度かあるんです。でも大事には至らないから、気にしないでください。
——何かある前に、一度病院で診てもらったほうがいいですよ。
 わかりましたと母は応えたが、たぶん病院へは行かないだろうと思った。変なところで気丈というか、強情なのである。
 座り込む母を前にしていると、なぜか和人も車酔いがしてきたような気持ち悪さに襲われた。貧血は伝染するのだろうか。居間に移り、寿司を待っているダイニングテーブルに座ると、ほどなくして症状は治まった。和人の後ろで引き戸が開き、和室から叔父さん、ヒカル、祖母が出てきた。あまり部屋の密度を増やしても母の身体に障るということで、何人かが引き揚げてきたのである。
——ヒカルは嫌がるかもしれないけれど、さっきの和弘さんの話を聞いて思い出したことがあるんだ。
 和人は父の名前が口にされる新鮮さを耳にしながら、——どんなことですか? と合いの手を入れた。母に釣られた体調不良を誤魔化す気持ちからのことだった。
——もう去年のことになるけれど、僕の会社である社員が休日に交通事故に遭ったことがあったんだ。よそ見運転に巻き込まれたもらい事故だったらしい。四十過ぎで僕より一回り近く若い彼は、その事故のせいで一月ほど休みを取ることになった。仕事の埋め合わせは僕たち周りのメンバーがやることになったんだけど、一ヶ月後に復帰した彼は何事もなかったような顔をしていて、チームに負担をかけたことに対しては一言もなかったんだ。僕自身はそれに対してなんとも思わなかったけれど、チームのメンバー、特に派遣で来ていた人たちは違ったようだった。彼はふだんから少し気遣いが足りないところがあったし、仕事ができるとも言いかねる人物だったけど、だからといって特別目に余るような悪い人でもなかった。少なくとも周囲から無視されたり、忘年会の通知を回してもらえなかったりするような人ではなかったはずなんだ。でも、復帰直後に今までのフォローが一言もないまま彼がミスを連発したから、思わず強い口調で叱責してしまったんだ。そうしたら僕の言葉を歯切りに、周囲のメンバー、特に派遣社員が一気に同調して、いじめと言えるような状態になっていった。正社員と派遣のあいだに隔てがないようにという方針を社長が厳命していたから、上司部下の関係はあっても正社員が否かは人間関係に影響しない、単に給料の出所がちがう以上の違いはない、そういう風土の職場だったことを僕は好ましく思っていたんだけど、このときばかりはそれが逆に仇となって、標的となった社員は容赦のない陰口の嵐に晒されるようになってしまった。不手際こそあるものの真面目に働いて妻子を育てている常識的な人だったのに、カッとなった僕の言葉が原因で忌み嫌われ、みんなから頭に足を置かれるような存在になってしまったんだ。最近、社員の不祥事が原因で賃貸管理会社の株価が暴落する事件があったけど、彼の話はあの事件に似ていると思う。事故という不祥事によって彼の株価は底値をついたんだ。理不尽に聞こえるかな? けれど今や会社で生きるとはこういう株式競争を生きることで、どうやつまて自分の株価を上げるか、どの株を見捨てて、どの株を買うか、刻一刻と変化する状況に合わせながら的確に判断するしかない。失敗した者が失落するのは、哀れを誘いはしても当然のことだ。ふつうに生きている僕たちには競争の中にしか生きる道がないんだよ。
 だからヒカルも気を抜くなよ、と叔父さんが話を結ぶと、玄関のチャイムが鳴った。ようやくお待ちかねの桶が届いたのである。


    3

 

 祖父の家は駅を見下ろす高台にあり、京急線の路線が街明かりに揺れて夜の底で川のように波打っている。街灯の投げる小豆色のけばけばしい明かりが飴のように川面に薄く滲み、夜空の星と奇妙なほど調和した黄色になって溶けていた。川上では街と夜との境界が曖昧で、視線を上に辿ると濃紺とも紫ともつかない遠景に迷い込む。そこでは近視の目には月なのか星なのか判別のつかない、大小様々な同色の点が際立っていた。そのままじっと見つめると空に凹凸があるような錯覚が生じ、誰かがさっと走らせた毛筆の痕跡が浮き上がってくるようだった。うつくしい夜だ。こんな夜に祖父と散歩するのはいつぶりだろう? 子どもの頃はよくこうして一緒に歩いたものだ。健康は足からというのが祖父のモットーで、孫のぜん息に効くかもしれないと短い距離をよく歩いた。食後に散歩する習慣はそのときにできたものらしく、和人の歳を考えるともう二十年以上つづけていることになる。当時ですら祖父は七十だった。
——寒いね、おじいちゃん大丈夫?
——そのために着込んできたからね。
 橙色のマフラーと同色の手袋、白いニット帽という姿の祖父は、確かに本人の言う通り防寒面での心配はなさそうだった。桶が空になって少しすると、自室に戻った祖父がこの防寒着姿で現れ、集合写真のときと同じ唐突さで和人を食後の習慣に誘ったのだった。急だったせいで薄着に上着を羽織っただけの、マフラーすらない格好で出てきてしまったから、和人は背中に鳥肌が浮いているのを感じていた。けれど冬の澄んだ空気は嫌いではなかった。湿度のない空気の清々しさに何かから解放されたような気がして心が休まるのである。ふだんの和人は空気の重みを肩に受け、無自覚のうちに身体を強張らせており、乾いた外気にはその強張りを浮き彫りにする力があるらしい。
 リラックスした和人の歩調は自然と柔らかなものとなった。和人には歩く速度と不幸の度合いは一致するという自説があり、その対象は年齢に関係なく、老人であっても無意味に速足な人もいて、そういう人は例外なく一人だし、目つき顔つきに剣がある。この自説に照らし合わせると、祖父は一貫して自分のペースを保つ人で、少なくとも不幸からは遠かった。
——これからは貴方たちが世間をつくっていくんだよ。
 なんでもないことのように祖父がそうつぶやいたから、思考の中に篭りつつあった和人は驚いた。
——世間がつくれるものって、そんなふうに考えたこともなかった。
——つくれますよ。貴方たちは若いんだ。力がある。自分で思っているよりずっと力があるんです。
——そうなのかな。
——そう、若いというのはそれだけで価値があるんです。いや、若くなくたってそうだ。こんなだらだらした散歩につきあってもらったのも、ありふれた言葉だけどね、「人間にはお金に換えられない価値がある」っていう一言が言いたかっただけなんですよ。知ってるかもしれないけれど、かずくんの名前は私が決めたんだ。そして誰にでも名前があるのは、誰かがその人を産んだからですよ。ハンデを持って産まれる可能性も、生きていく上でハンデを負う可能性も承知で、誰かに生まれさせられたから名前があるんです。その誰かは、たとえ社会には無価値でも、お金に換えられない価値を無条件に見出したから、貴方をこの世に生んだ。それはかずくんに限らず、誰ひとり例外じゃない。世間ができるのに先立って、子供を名づけるという最初の言葉があったんです。ちょっと前にフランスの難しい人の本を読んだら書いてあったんだけど、すべての言語はそういう最初の言葉への応答なんだそうですよ。言語を使うとは最初の言葉を肯定することであり、最初の言葉とはすべての人にお金には換えられない価値を無条件に認め肯定する言葉なんです。言語は命を肯定している。どれだけ命を否定しても、否定するためのその言葉がすでに命を肯定しているんです。
 祖父の言葉は白くなって冷えた夜気に溶けていった。そのあとを追うようにどこかから犬の遠吠えが聞こえ、車のエンジン音が一度だけ響き、かすかに味噌汁の匂いがしていた。いい夜だねと祖父がつぶやき、うん、と答える。これも命を肯定する言葉なのだろうか。
——そろそろ帰りましょうか、と祖父が言ったので、二人は短い散歩を切り上げることにした。
 外から戻ると祖母が玄関で待っていて、
——寒いのに物好きねえ、と呆れた顔を見せた。和人と祖父が顔を見合わせると、
——温かいお茶を淹れたから飲んでくださいね。風邪でもひかれたら看病するこっちが保たないんですから、と早く居間に行くよう促された。
 寿司が広がっていたテーブルに湯呑みが二つ、湯気をあげて二人を迎えてくれていた。温かいものを喉に落としてはじめて気づいたが、のんびり歩いてきた身体は知らないうちに冷え切っていた。


 陶器の湯呑みはガラスのコップとは似ても似つかない。和人は部屋の冷蔵庫から出したペットボトルのお茶をキッチンで飲みながら、あのときとは正反対の冷たさを喉に受け、過去に祖母が淹れてくれた熱いほうじ茶と現在の既製品の麦茶の味とが頭の中で混乱し、奇妙な感覚に襲われながら頭痛がし出したのを感じていた。キッチンから七畳の部屋に戻ると、奥の窓際にあるベッドと手前のソファとで悩み、結局ソファを選んで寝転がった。少し熱があるのかもしれない。パニック発作と併発して自律神経を病んでいたから、軽微な発熱や動悸が不規則に身体を叩いてくる。一月の末だというのに早すぎる春の陽気がやってきたり、そうかと思えば急に雪が降ったりと、ここのところ気候が安定しない。そのせいで体調が悪化しているのかもしれない。
——いったいどこまで行ってきたんですか?
 ぼんやりする和人の耳は、この場にいないはずの祖母の声を確かに聞いていた。
——家の前の通りを往復してきただけだよ、と祖父が答え、そうだよね、と目で同意を促されたから、うん、と答えた。同時に和人はくしゃみを二回した。部屋の暖房を入れた方がいいかもしれない。
——そこにヒーターがあるから、椅子を持ってきて温まりなさい、と祖母が和室に通じる引き戸の前を指す。暖炉のような灯りが引き戸の曇りガラスを下から照らすせいで、和室の中で火が揺らめいているように見えた。父は食後の一服のために庭に出ており、叔母さんは台所で洗い物をしていたから、和室の中では残りの四人が炬燵を囲んでいることだろう。どんな話をしているのか和人にはわからなかったが、正月のありふれた話題に加わる気にもなれず、祖母に言われるまましばらくヒーターの前に座り込むことにした。
 祖父はプリントが終わっているはずだという写真を取りに自室へ向かい、食事の片づけを終えた祖母がテーブルの椅子に腰を下ろした。自分のための湯呑みを両手で包み、居間とひとつづきになっている背後の台所へ、——エリさんもそのぐらいで切りあげて少し休みましょうよ、と言った。
——かずくん、少し痩せた?
 布巾を手にあてがいながらエリさんがやってきた。そうですかと答えると、頬の辺りが少しシャープになったと言われた。看護師の目は誤魔化せないな、と和人は少し警戒する。エリさんの言葉を聞いた祖母に
——ちゃんと食べてるの? と心配された。
——料理してるから大丈夫だよ。自炊するのけっこう好きみたいで、毎日なにかつくってる。
——生野菜は食べてる? とエリさん。——ひとり暮らしだとついつい自分の好きなものに偏りがちだから。
——どうかな、そう言われると自信がないけど、と言いながら、和人はこの一ヶ月欠かさず食事に野菜を取り入れていた。正月を迎える前も同じ食生活をつづけていたから、痩せたのはたぶん食事のせいじゃないよ、と和人は誰もいない部屋で天井に向かって呟いた。病気のせいで僕はこうなったんだ。
 引き戸が急に開いて、母が顔を出した。
——もうちょっとしたら帰るから、支度しなさい。
——貧血はもう大丈夫なの?
——食事のときには治まってたわよ。
——わかった。用意する。
 ほうじ茶とヒーターのおかげで十分に温まっていた和人は、言われた通り和室に鞄を取りに行った。叔父といとこが名残惜しいねと口々に言うのに曖昧に頷きながら居間に戻ると、父がニコチンの臭いを撒き散らして和人が座っていた椅子にドシンと腰を落とすところに出くわした。ようやくタバコを吸い終えたようである。
——なに、もう帰るの? と母に訊ねている。
——あんまり遅くなっても困るから。
——また来年ですかね、とエリさんが座りながら挨拶する。我が家も挨拶を返していると、叔父さんにつづいて弟とヒカルが和室から出てきて、居間が急に賑わった。
 じゃあまた来年、と姉に呼びかける叔父さんの声を聞きながら、来年の僕はどうなっているだろうかと、あのとき思ったことを何もない部屋の天井に訊ねてみた。部屋はしんとしていて、冷蔵庫がうるさく感じるほどだった。あのあと自室から出てきた祖父がプリントした写真を全員に一枚ずつ配っていて、それは今、棚の中で本のあいだに置いたファイルに収まっている。重い身体をソファから起こし、ファイルを開くと、何かを喋ろうとしてか、梅干しのようなしわを下唇のあたりに浮かべて写っている自分と対面した。和人とは対照的に祖父は大きく口を開けて笑っている。
——かずくん、ちょっといい?
 帰り支度も終えて玄関に出たとき、見送るためについてきた祖父に背中から呼び止められた。ついて来て、と言われ、七福神の面が並ぶ祖父の部屋に招かれる。すたすたと先を歩いていた祖父が入り口から右手にある襖を引くと、よく整理された書斎が現れた。夢の中でここに出刃庖丁が隠されていると恐れていたことを思い出し、和人は思わず苦笑した。幼い頃はこの部屋で祖父に相手してもらうのが大好きで、あそぼ! あそぼ! と弟と一緒に連呼して祖父を草臥させたものだったというのに。
 祖父は棚に並んだ本から一冊を手に取り、書斎の入り口で待っていた和人に言った。
——最近、天文学の勉強をはじめたんです。かずくんは英語でしょう? かずくんが資格を取るのと私が学び終えるのと、どっちが早いか競走しようよ。
 手渡されたのは使い込まれてボロボロになった英語の参考書だった。
——あのさ、おじいちゃん、と言いかけたが、そこから言葉を継ぐことができなかった。その様子を見て祖父は、
——無理に言わなくていいよ。かずくん、今日はなんだか黙しがちで元気がないようだから、何かあったのかなとは思いましたけど、貴方の歳になれば誰にも言えないことの一つや二つあるものです。健康に気をつけてくれれば、私はそれで満足ですよ。
 新年初頭の自分がボロボロになった参考書を開く動きに合わせて、僕はソファの上で同じ本を広げる。記憶の船を降りて今現在に集中し、競争に負けないよう単語の暗記に勤しむことにする。そうやって昼まで孤独な時間を過ごしていると、不意に弟から電話がかかってきた。
——おにいちゃん、母さんが倒れてる!


 弟の話を整理するとこうだった。夕方、大学から帰ると玄関で母親が倒れており、驚いて声をかけると意識はあったので、救急車を呼ぼうか聞いたのだが大丈夫だと言ってゆずらない。大事にしたくないのだというが、何らかの問題が身体に起きているのは明らかで、病院に連れていった方がいいと思う。
——どうしたらいい? と訊かれたので、今からそっちに行くと答えて、兄は上着を羽織った。勇しく答えて電話を切ったまではよかったものの、懐には冷たいものが流れていた。急いで行かなければならない。でも、どうやって? 横浜市にある実家へは電車を乗り継げば四十分ほどだが、その移動に身体が耐えられる自信がなかった。かと言って休職中の身にタクシーを呼ぶ余裕はなく、自分で運転できる車もない。葛藤に腹部を抑えた彼はトイレに逃げ、便座に落ち着き、大便をしながら方策を考えることにした。とりあえずタクシーを呼ぼう。金のことは着いてからどうにかすればいい。横浜までどれぐらいの額になるか知らないが、クレジットが使えるはずだから、その場しのぎの支払いはどうにかなるはずだ。
 こんな病気になったのは自分のせいではないと思っていた。都心に通勤して毎日働くという世間の当たり前が僕に障害を強いたのであって、自分のせい、自分の弱さのせいだと受け取ったのでは己れの尾を噛む蛇のように徐々に徐々に自らを喰い潰してしまう。けれどいざというときにはクレジットが使えるかを気にして、働く誰かの運転するタクシーで母親の元に駆けつけようといしている僕は矛盾しているのではないだろうか? 結局は金に頼るのじゃないか。金のために病気になったというのに。こんなときに臀部を晒している滑稽な姿が僕のすべてを物語っているんだ。
 和人はもうどこにも行きたくないような気持ちに襲われたが、一方でこんな場所でいつまでもグズグズしているわけにもいかないという焦りに駆られ、トイレを出るために視線を上げた。手元にあるペーパーホルダーに芯の露出した紙がある。頭の上に備えつけられた棚を開けて常備しているはずの予備を確認すると、中は空っぽになっていた。いつの間にかトイレットペーパーが切れていたのだ。これまでの生活でそれはすべて巻きあげられてしまったのである。和人の耳は心臓がカランと空虚な音を立てて空回りするのを聞いた。
 ズボンを下ろしたままトイレを出て、風呂場に入り、臀部を洗って外出できる格好に着替えると、和人は身重の鳥のようにバタバタと部屋に戻り、電話をかけた。コールセンターによるとタクシーは十分程度でこちらに来るとのことだった。
 ところが十分待っても二十分待ってもそれらしき車が現れない。部屋を出てアパートの前に立っていた和人は再びコールセンターに電話をかけ、最初とは別の声に問い合わせると、どうやら運転手が間違えたらしいとのことだった。確認してみますと言われ、保留音に切り替わり、『小さな世界』のメロディがオルゴールの音で流れ出した。たっぷりワン・コーラス聞かされたあと、先ほどの声がようやく戻ってきて、確かに伝えられた住所に向かったと運転手は言い張っているのだという。最初に対応したスタッフが間違えたのかもしれませんが、そのスタッフは別の電話に出ているため、確認までもう少しお待ちいただけないでしょうかと言われ、和人はもう結構ですと応えて通話を終わらせた。最初のスタッフとやらも自分は間違えていないと言い出しかねないと思ったからだ。アパートは住宅街の中に建っており、いくつか連なる周りの民家のうち、斜向かいの玄関から老婆が出てきてあからさまに不審げな目で和人をじろじろと眺めはじめた。和人はいったん部屋に引き返してから電車に乗る覚悟を決めた。
 プラットホームの待ち時間と車両に乗り込んだ最初の十分が分かれ目だった。最も発作は起こしやすいそのタイミングを越えてしまえば、平日の昼過ぎ、私鉄の急行はそれほど混んでいない。もっともそれでも座席が埋まる程度には乗客がおり、和人はその一人ひとりに圧迫を感じていた。人間に囲われているという恐怖は、丸と長方形の立体とで形成された物体が自分を空間から追い出そうと迫ってくるような、物理的な脅威として彼の精神を突いてくるのである。ドアの横にもたれかかり、気を紛らわせるために先ほどのコールセンターとのやりとりを思い返してみることにした。内容がバラバラだった彼らの言い分は、自分は悪くないという一点では共通していた。申し訳ありませんがこういう制度なんです、と免罪符のようにくり返されたことを和人は思い出す。まるでシステムという実体のない番人に各人が守られているかのようだった。あるいは制度という実態のないものを輪に囲んで、ドーナツのように空洞を守っているかのようだった。和人は休職する前にもよくこんなやりとりに出会したことに思い当たった。その経験に照らして考えれば、誰も責任を取りたくないのではなく、責任の所在が本当にわからなくなっているのである。事態を辿ろうとすると堂々めぐりに陥り、いつまで経っても終わりが見えない。その一方であたらしい仕事は絶えずやってくるから、最初は真相を解明しようと意気込んでいた者も次第に諦念の泥に志を沈めていく…………。
 もしかしたら、今ではとても乗ることのできない満員電車が解消されない理由も、案外おなじようなところにあるのかもしれない。システムの中で諦念に飲み込まれていくうちに、朝八時の新宿行き上り電車で確実に座席につけるような日常は想像することすらできなくなってしまった。混雑が悪化する光景はイメージできても、その逆は思い浮かべることすらできない。緩和の方策すら想像の埒外にある。しかし満員電車の原因は単に都市部に会社が集中しているだけのことで、それらの会社が都心を離れて各地へ一斉に散れば、蜘蛛の子のように解消するはずなのである。そう言いながら、やはりこうやって考える僕自身がこのアイディアを荒唐無稽で実現不可能なものだと思ってしまうのはなぜなのだろうか? 満員電車という現実は様々な形があり得た中からたまたま実現したもの、弾んだボールが偶然に着地した地点に過ぎないはずであるのに。
 和人は車内を見渡した。揺れに合わせて吊革と共に微動する立方体の群れは、何の疑問も抱かず自分の位置を守っている。うつむきがちにして影を帽子のように被ったそれらは企み事を秘めているようにも見えた。深呼吸をくり返して冷静になると、歪んでいた視界が常識を取り戻し、角の席に座る目の前の男が緑色のコートを着たまま、携帯も本も持たずに爪先を凝視している様が明瞭になった。対岸の列に座る女は組んだ脚の先で緑のスニーカーを踊らせ、その三つ隣、視界の端にいる老婆は何かを包んだ緑色の風呂敷を大事そうに抱えている。座席の赤いシートが妙に目にぎらつき、車両全体が不穏だった。自分のいる空間がまだ歪んでいるように思えてならない。さっきから動悸が激しくなっている。脇からは嫌な臭いのする汗が滲み出した。誰のものともいえない恐ろしい情念が今にもこちらに襲いかかってきそうな気がした。もしも今、誰かに肩でもぶつけられたら僕は呆気なく壊れてしまうだろう。心臓が痛み、次第に速まる鼓動が胸を深く打ち、呼吸は浅く、視界は段々と四隅から白っぽく霞んでいった。風呂敷の老婆が白紙になり、スニーカーの女が白く塗り潰され、コートの男が見えなくなった。ついには呼吸すらままならなくなり、僕はこのまま死ぬのだろうかという思いが突然に降ってきて、目を瞑ると死のようにすべてが暗くなった。瞼の暗闇に何かの残像が浮かび、一瞬、それが鬼の面のように見えたあと、和人は次の駅で電車を降り、空いていたベンチに座り込んだ。


    4

 

 生まれて来なければよかった。プラットフォームのベンチに座った姿勢でそんな言葉が脳裡を過ぎったとき、幼かった頃にも同じことを一人で感じていたことを思い出した。同時に、深夜に喘息の発作を起こした夜の、月明かりでぼんやり青くなった天井の薄暗さが浮かんでくる。弟を下にした二段ベットでその光景とひとり対峙していた和人は、そのとき八つか九つだった。深夜の発作はもう十日あまりもつづいており、薬の用意を強いて親の目元に深々とくまを刻んだ自覚があったから、その日はとうとう気後れして、発作が起きたことを誰にも言えなくなっていた。
 仰向けになった背中から弟の寝息が聞こえてくる。山羊が草をはむ音のような安らいだ息と、自分が発する気管支炎の荒い呼吸とが重なりつつずれて、不協和音が鼓膜というより耳の骨に直接ひびいた。その振動に頭を揺さぶられるのか、身体が気怠く鈍り、それでいて意識だけは冴えざえとしていた。間欠的にくり返される烈しい咳が関節の節々に痛みを走らせ、酸素を求めて喘ぎあえぎすると、喉から血の匂いが昇る。どこを傷つけたのかと舌先で赤い味の出どころを探すと、生のザリガニを食べさせられたような臭みに襲われた。咳の発作で滲んだ涙に視界がたゆたい、子供部屋は青味を強めつつも彩度を落として、エアー・ポンプの止まった水槽か流れのない川の中のようになっていた。この苦境から出口を求めて枕元にある窓を開け、透明な夜の空気を胸に吸い込む。和人は理科の授業で教師が言っていたこと——貴方たちの身体は貴方たちが食べたものでできているんです——を思い出した。そうだとしたら僕の身体は紺色の夜でできているんだ。でも夜の空気は冷たいのに、この身体は熱い。夜は平気なすまし顔なのに、僕は眉をギュッと寄せてヒューヒュー喘いでいる。早く朝にならないかな。夜は嫌いだ。一人で辛いから。夜に価値なんてないんだ。
 何度か意識が途絶えながらも、ほとんど一睡もできないまま明け方が近づいてきた。和人にはもう時間の感覚もわからない。日中の明るい部屋で母や弟と遊んでいたときの記憶を夢のように見ながら、むしろ苦しみはこれからやってくるんだと思っていた。今はまだ昼で、これから本当の夜がやってくる。外は夕暮れなんだ。だからあんなに真っ赤なお日様が地平線から半分だけ顔を覗かせているんだ。夕陽をじっと睨むと、神様が見えたりしないだろうか。もし神様がいるなら、どうしてこんな目に遭わせるんだろう。まだ生まれてすらいない子供にひどいことをするのはいったいどうしてなんだろう。神様は悪いやつなんだろうか。でも悪いやつがあんなにきれいな夕陽をつくれるなんておかしな話だな。夜は僕に似ているから嫌い、でも夕陽はきれいだから好きだ。夕陽はおかあさんに似ている。夕陽には価値がある。昼には活気がある。でも夜にはなんにもない。夜に価値なんてないんだ。
——ああ、夕陽が昇っていく。
 息を吸うのもやっとだというのに、和人は思わず声に出していた。開いた窓の先、町の先にある地平線から今、それとわかるほどの速さで夕陽が空に昇ろうとしている。世の中にはこんな夕陽を毎日みている子もいるんだろうな、と和人は思い、そのまま気を失った。
 翌朝、発作に気づいた母は車を出し、三ツ境にある病院へ急いだ。その病院は長男を出産した場所でもあり、かかりつけの信頼できる先生がいることもあって、有事の際は必ず駆け込む場所だった。診察室のパイプ椅子に座らさせれ、目の前で先生に母が病状を説明するのを眺めながら、和人は首にさげた聴診器を指先で弄ぶ先生の癖が気になって仕方なかった。先生の机には銀の清潔なトレイの上に先の尖ったピンセットや針、メスのようなものや何に使うのかわからない管が整然と並べられている。シャツを脱ぐように言われ、上半身裸になると、部屋に篭る薬品の臭いが急に鼻をついた。聴診器の冷たい感触が胸と腹の間を何度も弄る。ドキドキしているのがバレてしまわないだろうかと不安になった。男の子なのに怯えていると知られたら恥ずかしい。
——今も少し息苦しいでしょう、と先生は笑顔を見せてから、——気管支炎が悪化しているのかもしれません。入院して点滴を打てば止められますが、と母に言った。
——入院、ですか?
——はい。たぶん一晩で済みますよ。
——嫌だ!
 二人の会話を聞いて、堪えきれずに叫んだ。入院なんかしたら二度と家に帰れなくなってしまう。当時の和人はなぜかそんなふうに思い込んでいたから、叫ばずにはいられなかったのである。——入院は嫌!
 大人二人は困り顔を見合わせた。
——無理にとは言わないよ。
 先生はあくまでも優しい。
——先生、入院せずに済む方法はないのでしょうか。
——お母さん、心配しないでくださいね。それでは、まず吸入をやってみて、それで発作が治ったら薬を出して今日は終わりにしましょう。それでいいね?
 最後は僕に確認してから、先生は吸入器の準備にとりかかった。看護師さんを呼んで、ドライアイスみたいな煙が出てくるマスクを僕に被せさせる。手術で死ぬ人が空気を吸うためにこんなマスクをするのをドラマで知っていたから、本当はこの吸入器が嫌だった。でも煙の薬で深呼吸をしないと発作が止まらないから、仕方がない。
——深刻に捉えちゃダメよ。思っているより大したことないんだから。
 と母が言った。このどこが深刻じゃないんだと言い返したかったが、吸入器を着けているせいで何も声に出せなかった。
 その後、別室に移されてから三十分の吸入が終わるまで、和人は一人にされた。母はこの時間、和人を置いてどこかに行ってしまう。いつもそうだった。僕は狭い処置室に置き去りにされ、夜と同じように母が来るのを待つしかない。
 幸い、吸入が終わると発作が落ちついたため、薬だけもらって帰ることになった。会計を済ませた母は駐車場に向かい、和人を助手席に乗せ、シートベルトを締めてから、——大したことなくてよかったね、と言った。
 車が走り出してからほどなくして、とうとう母に詰め寄った。
——ねえ、なんでおかあさんはいつも僕のこと「大したことない」って言うの。苦しんでるのに。
——貴方よりひどい病気の子があそこにはいっぱいいるの。そういう子と比べたら貴方は平気なのよ。私の息子なんだから、ふつうなの。
——ふつうじゃないよ。こんなのふつうじゃない!
 母から返事はない。ただ前を見て車を走らせている。横顔は至って冷静だ。そのことに腹が立った。和人はシートベルトを外した。
——何してるの? 危ないでしょう。
——僕はふつうじゃないよ。
 和人がドアに手をかけると、ようやく慌てた表情で母は——やめなさい! と声を張った。道は直進する国道で、前後を一定の幅を空けて別の車が走っていた。和人はドアにてをかけたまま言った。
——じゃあちゃんと話を聞いて。
——わかったから、シートベルトをして席に戻りなさい。
——体育の授業で先生が休めっていうから休むのに、休んだらあいつは卑怯だってみんなから言われるんだよ。これから行く修学旅行だって、僕だけ泊まる部屋が別にされるって決まってるんだ。他の子と一緒だと埃が舞うのを吸ってしまうからって説明されたけれど、違うんだよ。僕がみんなより劣っているから区別されるんだよ。そうでしょう?
 いつの間にか両目から涙が溢れていた。男の子なのに情けないと思ったが、もう自分では止めることができなくなっていた。ドアにかけた手と一緒だ。一度勢いがついたらもうどうにもできないことがある。その勢いで母を睨むと、母はこちらを向いてこう言った。
——貴方の病気はそんなに大したものじゃないのよ。
 和人はドアを開け、車の外に飛び出した。


 母は和人の襟首を掴み、車道に転がるのを辛うじて防いだが、そのあいだにハンドルを離してしまい、コントロールを失った車は路傍の電柱に衝突した。鉄が潰れる音と悲鳴が同時に湧き上がり、耳がキーンとした。身体が外に投げ出され、道脇の雑草の上に転がる。グルグル転がるから目が回り、何が起きているのかよくわからなくなった。近くに人が来る気配がしたあと、サイレンが聞こえて、救急車に乗せられたのは覚えている。おかかさんも一緒だった。おかあさんは担架に乗せられて、死ぬ人がつけられるマスクを被せられていた。救急隊員はその名前を呼んだから、ようやく酸素マスクという名前がわかった。酸素って、知っている、空気のことだ。おかあさんは空気が吸えなくなってしまったんだ。きっと苦しい。その苦しさはよくわかる。これでおかあさんも僕のこと大したことないって言わなくなるかな。
 和人は草地に投げ出されたことが幸いして軽傷で済んでいたが、母は左腕をひどく折っていた。かかりつけとは別の病院に搬送され、手術が行われたが、軽い麻痺が一生遺ると告げられた。すべて僕のせいだ、と和人は思った。命に別状はなかったものの、病院を退院したあとも母は二度と車のハンドルを握れなくなった。

   ※※※

 めまいがするとはいうものの、母はすでに自力で起きあがっており、急を要する事態は脱したらしいことがはっきりした。予定より二時間も遅れて実家に到着した和人は、背中の強張りをほぐしながら、今回は大事に至らなかったからよかったものの、もしも次にまた何かあったらと思ってゾッとした。今の自分ではその場に立ちあうことすらできない事実を突きつけられたからである。今は歩いて病院に行くと言い張る母を止める力もなく、乱れた呼吸を整えるのが精一杯なのだ。母につき添うことになった弟に出してもらったお茶を飲み、二人を見送ってから、一人居間に残りどうすれば発作を起こさずに済んだろうかと振り返った。和人は電車に乗り合わせた客を一人ひとり思い出そうと試み、すでに朧げな顔の中から原因を探ろうとした。同乗した人というのはすぐに忘れてしまうようでいて、思いのほか記憶に尾を引いている。普段は用を足さない記憶だからすぐに脳が省いてしまうだけで、覚えていないわけではないようである。しかし誰の顔からも何も得られなかったから、お茶を飲み干し、ため息をついた。二人が帰ってくるまでどう過ごせばいいのかわからなかった。
 ひさしぶりの実家の居間は人がいないせいもあってかひどく静かで、懐かしさよりは不気味さが空気を支配していた。発作ばかり起こしていた夜々を過ごしたのは二階にある子供部屋だが、その真下にあたる居間にも、夕陽が空に昇るのを見たあの景色が残響としてまだ残っているのではないか。和人は気を紛らわせるためにコップを台所に持っていき、ついでに洗い物をやってしまおうと思い立った。流しにはなぜか使い込まれた三徳包丁だけが洗い残してあったので、和人はそれをスポンジで磨きながら、この包丁が母と一緒に過ごした長い時間を考えた。左手が少し不自由ながら母はよく料理をした。弟がはじめて離乳食を卒業したときに食べた人参も、僕が小学校を卒業したときの記念のステーキも、この包丁で母がつくったものだった。人間が食べたものでできているなら、二十年余り二人の息子と夫の身体をつくってきたのは母である。我が家には外食の文化がなかったから、なおさら母の手が三人の身体を手がけたことになる。
 和人は部屋の包丁が欠けてしまったのであたらしいものを買ったが、まだ旧い包丁を捨てていなかったことを思い出した。台所の棚に眠ったままだ。少し錆びた安物のあの包丁には、もう価値がない。それでも捨てられずにいるのは、どこかでそういう道具を自分になぞらえてしまうからなのかもしれない。あの事故は包丁で刺したようなものだった。突発的な行動が不幸な事故を招いたのではなく、明確な意図でドアから飛び出したのではなかったか。
 苦味に満ちた時間は幸いにもそれほど長くはつづかなかった。四十分ほどで戻ってきた母は三半規管に腫れがあったことが原因だと和人に伝え、常に目が回っているような状態だから少し横になりたいと言い、二階の一室に布団を敷いてそのまま眠り込んでしまった。階下の息子たちはこれからどうするか話し合ったが、疲労で頭が寝てしまっているのか、結論といえるほどのものは何も出せず、ひとまず父の帰りを待つことになった。しかしこの時点で和人には一つ決めていることがあった。
——しばらくこっちに戻るよ。何かあってもすぐには来られないし。それにおまえたちどうせ家事できないだろう。
——できるよそれぐらい、と弟は反射的に応えたが、——え、やってくれるの? とすぐに期待の目を向けてきた。就職すると同時に一人暮らしをはじめた和人は一通りのことはできたが、四人分の家の仕事となると未知の領域ではあった。僕たちの意識しないところで母は毎日それをこなしてきたんだ。休職中に料理も洗濯もずいぶん手際がよくなっていた和人は、せめて母が寝ているあいだだけでも代わりを務めようと決めた。
 その日の夜、八時過ぎに父が帰ってきた。父はまず台所に立つ長男に驚き、次いで母の病状を聞いて仰天した。和人は構わず調理をつづけようとしたが、唐突な電話がそれを遮ったので、手の空いている父に出てくれるよう頼んだ。夜の闖入者を任せてしまうと台所に意識を戻して集中しようとしたのだが、包丁を握りキャベツのマリネをつくろうとしていた耳に会話の断片が流れ込んできた。
——帰ったら倒れていたらしいんですよ。大したことではなかったらしいんですけど、しばらくは動けないみたいで…………いや、私たちは大丈夫です、はい…………今は上で寝ているみたいです…………
 はい、はい、という声がしばらくつづいたあと、父は受話器を置いたようだった。和人はいったん手を止めて、
——誰からだったの? と訊いた。
——お祖父ちゃんからだよ。正月に撮った写真がもう一パターンあって、渡し忘れたから取りに来ないかっていう話だったから、こっちの状況を伝えたんだ。
——え、言っちゃったの?
——そうだけど、何か悪かったか?
 友人の死と入院をいっぺんに経験した祖父をあまり刺激するなと、おそらくは今祖父に衝撃を与えたであろう母から正月に忠告されたのを思い出していた。今さら言ってもはじまらないが、父の口が軽率なのはどうにかならないものかと和人は頭を抱えたくなった。
——お祖父ちゃんだけど、看病したいからしばらくこっちに来るって。
——え、いつから?
——明日から。
 和人は文字通り本当に頭を抱えることになった。


    5

 

——とりあえず重症じゃないみたいでよかった。
 二階に伏せている母の顔を見た祖父がそう言った。こちらに来るときいつも持ってきてくれるお土産のシュークリームを和人に渡すと、祖父は真っ先に娘の様子を覗きに行ったのだった。一階の居間に降りて腰を下ろした祖父は、電車とはいえ市営地下鉄で五駅の距離を移動し、休みも挟まずに階段を上り下りしたにも関わらず息ひとつ切れていない。和人は相変わらずの健脚に目を見張らされた。母は起きてはいたが吐き気があるせいで喋ることができない状態だった。幸いその他は熱があるわけでも身体のどこかが痛むわけでもなく、薬を飲んで数日安静にしていれば治るというのが医者の診断だった。
 時刻は午後の一時。平日だったため本来なら和人は出勤していることになっていたが、祖父には看病のために一週間ほど休みを取ったのだと説明した。まるで他人の話をしているかのような違和感を飲み込みながら、和人は祖父が来るなら一人暮らしの部屋に戻ってもよかったのだと改めて思った。迷った末に何かあってもすぐには駆けつけられないという思いが勝ち、祖父を迎えることに決めたのだった。
 問題は部屋の割り当てである。二階建ての我が家は一階に台所を兼ねた居間と和室が一室ずつ、二階に仕切りを取って二つだったものを大きな一部屋にした子供部屋兼母の寝室、そして父の部屋という間取りで、五人で暮らすには手狭だった。祖父には和室を使ってもらうとしても、母が伏せている子供部屋に成人した兄弟が肩を詰めて居座るのも問題だったから、昨晩のジャンケンで負けた和人が居間を寝室代わりにして眠ることになっていた。
——急にごめんなさいね。倒れたって聞いていても立ってもいられなくて。
 もらったシュークリームにコーヒーを添えて出し、大丈夫、来てくれてありがとうと応えたが、内心は複雑だった。祖父の心配は当然だったが、一方で本当の自分を忍んでいる身としては、慕っている相手をの前に嘘を堆積して不要な山を築くことを憂いてもいた。いつかその山が明るみに出て祖父との関係を遮ってしまうことになりはしないかと恐れていたからである。大学に行った弟は少なくとも夕の五時までは戻ってこない。二人きりの時間をどう乗り越えるか、和人は今から気が重かった。
——かずくんは文学部の出身でしたね。
 シュークリームを食べ終えると祖父からそう訊かれたので、うんと答えた。
——釈迦に説法かもしれませんが、おもしろい記事を読んだんです。「忍ぶ」という言葉があるでしょう。忍者の「忍」ですけど、あれと人をしのぶの「偲ぶ」はもともと同じ言葉で、奈良時代には混合して使われていたそうなんです。人を偲ぶのとその気持ちを忍ばせるのは昔からある日本的な美徳なのかもしれないね。漱石がアイ・ラヴ・ユーを「今宵は月がきれいですね」と訳した有名な逸話がありますけど、あれも何事もはっきりさせたがる外国語をものをしのぶ日本的感覚に翻訳した必然なのかもしれないね。
——漱石は僕も好きだよ。お金で人が変わることを真剣に書いた日本で最初の作家だと思う。
 最近の教科書には『こころ』が載らなくなるそうだ、子どもが文化から離れていくのは由々しいと祖父は嘆いた。
 一息ついたところで祖父を和室に案内し、一人で母の様子を見に行ったあと、和人は洗濯や掃除といった雑事に逃げ込んだ。祖父と母と他の家族の家事を負担している自分はいわば一家の介護士である。和室でしばらくくつろいでいた祖父が出会い頭に——偉いね、かずくん、と言ったが、今は家事ぐらいでしか働いていないことを知られても「偉いね」と言ってくれるのだろうかと和人は思った。
 六時前に弟が帰宅してほどなくすると、和人は夕飯の準備をはじめた。今のところ家事を負担とは感じていなかったが、祖父の視線を背中に意識して過ごす一日は居心地が悪く、台所でスポンジを握り皿を洗いながら、一人の部屋を切望している自分に気がついた。もっとも、たとえ祖父がいなくて和室をあてがわれていたとしても、不在の母の視線がこびりついた汚れのように家のあちこちに残っているから、ここにはプライベートというものがない。この窮屈さが僕を実家から追い出したのだ。流し場の仕事を終えた和人が母に出すお粥をつくっていると、玄関に父が現れ、いつもより賑やかな晩がはじまった。父は祖父と同時におじぎをし、台所に立つ長男をもの珍しそうに眺めてから——腹が減った、と言った。和人にはそんな光景に母が頬笑んでいるように思えてならなかった。
 しかし、盆に茶碗を乗せて二階に上がると、実際の母は泥のように深く眠っており、起こすのもしのびないので料理を持ったまま下に降りた。粥を鍋に戻し、自分たちの夕飯をつくりはじめる。台所に立つと、背中から聞こえてくる男たち三人のとりとめのない会話とテレビの音に緩慢に包まれ、和人は眠気をもよおした。本当は隙をみて家族の耳が届かない場所で恋人に電話をかけたいのに、今日はご飯のあとには横になってしまいそうだった。のんちゃんと話せるのはいつになるだろう。もう三日は連絡を取っていない。和人の恋人は二つ下の大学の後輩で、卒業してからはアルバイトをしながらカメラの専門学校に通っていた。将来のために前進していく彼女と躓いている自分が明確な明暗を描いているように思えるときがあり、僻んでしまう醜い己れに出会う怯えと声を聞いて励まされたいという甘えが混在して、和人は身体がまっ二つに割れてしまいそうな気持ちに襲われるのだった。
 食事のあと、温かく緩んでいく意識と戦いながら、和人は散歩をしてくると言って家を出た。玄関で祖父が同行を申し出たが、母を見ていてほしいと頼んで一人を勝ち取ることができた。
 八時過ぎの住宅街は思いのほか様々な音に満ちていた。笑い声をあげる幼い子ども、吠える犬、遠くの国道を流れる車のエンジン音。紺色の空にヘリコプターが通りかかると、降り注ぐ羽音でそれらが掻き消され、機影が離れるに連れて町の音が耳に戻ってきた。和人は五分ほど歩いた末に携帯を取り出し、登録された番号の中から恋人のものをタップした。
——もしもし、ずっちゃん? どうしたの、ひさしぶりじゃない。
——うん、特に用はないんだけど、声が聞きたくて。今、電話大丈夫?
——ごめん、学校が終わって、これから電車で帰るところなの。明日こっちからかけ直すよ。
——うん、わかった。ありがとう。
 こうして五分もかからずに通話は切れた。和人は最寄りのコンビニに足を向けてから家に帰った。


 翌日の昼下がり、和人は最寄りにあるファミレスを一人で訪れていた。休職中の彼には会社から課されている義務が二つだけあり、一つは指定の病院へ定期的に通うこと、もう一つは産業医を交えた場での電話による面談だった。後者の義務は月に一度、産業医が会社を訪れる第二火曜日と決まっていて、恋人との連絡を取る前に和人がこなさなければならないものだった。
 盗み聞きをするような人ではないとわかってはいたが、万が一に備えて、祖父の耳に電話の内容が入らないように和人はここにいた。ランチ・タイムが終わったばかりのファミレスにはほとんど人がおらず、窓際にある四人がけテーブルに通された和人の位置からは他の客の姿を認めることができなかった。窓からは店の駐車場とその先にある国道が見晴らせ、疎らな車と人の通行を好きなだけ観察することができた。
 人混みも慌ただしさもないリラックスした風景に自分はいる、と和人は思った。会社との連絡は緊張を彼に強いたが、この環境でなら乗り切れるかもしれない。
 二時ちょうどに着信が鳴った。人事部の課長と産業医が携帯越しにあいさつしてくる。会社との会話は録音した音声をなぞるように同じ内容のくり返しで、和人が病状を報告し、復帰の目処について質問されるというパターンを演じることになる。飽きあきした話をしながらふと店内に視線を向けると、ウェイトレスの一人と目があった。彼女は咄嗟に顔を下に伏せて厨房の方に逃げていったが、残された和人の意識には店員の存在が迫ってきた。何名様ですかと問われて指を一本立て、席につくなりコーヒーを注文し、あとは携帯を耳にあてがい何やら込み入った話をしているこの客が、フロアを行き来する彼女たちにはどんなふうに映るのだろうか。平日のこんな時間にスーツ姿でもない男がやってきて、どんなふうに思うのだろうか。あたかも自分の社会的価値が彼女たちに決められるかのような錯覚に陥り、和人は落ち着いていることができなくなった。
——筑井さん、今日は一つ報告があります。あくまで暫定的な処置ですが、筑井さんのデスクを空けて他の方に使ってもらうことになりました。場所の節約が目的なので私物などは保管してありますから、復職された際にはいつでも元通りにできるので安心してください。
 今さら後悔しても手遅れだが、これなら危険を犯してでも家にいるべきだった。和人の鼓膜は薄情な紺色の制服を着たウェイトレスたちが陰で自分を笑う声を拾いはじめた。それは声というより雑音といった方が近いもので、人の声なのかも定かではなかったが、自分を嘲笑っていることだけは確かだと思えた。
——筑井さん、大丈夫ですか? 聞こえますか?
——あ、はい。聞こえています。了解しました。
 気の重い会話が終わって通話が切れると、発作の前兆を感じた和人は胸を抑えた。ここを出るべきか思案したが、無理に動くのも賢明ではないと判断し、深呼吸でやり過ごすことを自分に課した。手元のカップに目を注ぎ、苦味のある黒から温かい湯気があがるのをじっと眺める。その頃になってようやく、和人は実質的に帰る場所がなくなったことに気づき、コーヒーに口をつけた。
 おそらく会社はもう復帰できるとは思っていないし、自分自身同じ判断をしてしまっている。戻りたいと強くは望んでいない以上、正式に退職になるのを待ってあたらしい生き方を探すしかない。和人は会社にいた頃の場面を思い返してみたが、別れを惜しみたくなるようなものが脳裡に蘇ることはなかった。和人の印象に最も残っていたのは、新入社員を募集するための就活サイトをつくるといって、素材となる画像のためにカメラマンを呼んだときのことだった。ITの会社で見習いプログラマとして働いていた和人は、ふだんは仕事の効率が悪いと途端に不機嫌になる会社が、プログラマの手を止めてまで広報用の写真撮影を重視する姿勢に遭遇し、本当に大事なのはイメージなのだと理解した。仕事に追いつけるようにそれまで昼休みや終業後の時間を費やして技術の勉強をしていたが、それは会社に見えるところでアピールのためにやるのでなければ価値がないと気づいたのである。社員の評価とは日常的な動作の総体であるイメージなのだ。そうしてそう意識しはじめると、就業中の一挙手一動が監視されているように感じ出し、和人は居心地の悪さに襲われるようになった。ところが考えてみれば、会社自体も世間に対してアピールするために写真撮影に躍起になったわけで、会社自体が世間という得体の知れないものに監視されている。そらにその世間もまた、たとえば国民性といったイメージを介して世界から監視されている。しかもその世界とは、凝視してみれば個々の集まりを漠然とそう呼んでいるに過ぎず、実体は何もない。中心がどこにもないのである。ただなんとなくの雰囲気と曖昧なイメージによって自己監視にがんじがらめにされること、これが和人にとっての「会社で働くこと」の意味だった。正月に叔父さんが生きていくにはこれしかないと言っていた道は、こんなにも悪路なのである。
 コーヒーを飲みながらそんなことを考えていると、切ったはずの電話が再び鳴った。和人は驚いて胸に手をあてた。発信元を見ると恋人ののんちゃんの名前が表示されていたので、会社のことが念頭にあった和人は身構えた自分を思わず笑い、通話のボタンにふれた。
——もしもし、ずっちゃん? 今、実家にいるんだったよね。実は近くまで来てるんだけど、これから会えないかな?
 和人は喜んで自分のいるファミレスの場所を伝えた。
 その直後のことである。店員の一人が和人の元に来て、お連れ様をお待ちではないですか、と訊くので、ずいぶん近くにいたんだなと思いながらうなずき店の入り口の方を見ると、祖父がこちらに向かって歩いてくるところだった。
——散歩の途中で窓際にいるかずくんを見かけたものだから、と祖父はどこか言い訳らしくそんなことを言ってから、——何をしているんですけ? と訊いた。
 こんなこともあろうかと英語の教材を備えてきた和人は、鞄からそれを出して祖父に見せ、——勉強しようと思ったんだ。家だと集中できないから、と用意していた答えを口にした。そうですかと祖父はうなずき、ここいいですか? と和人の向かいの椅子を指した。
——こんなところにファミレスがあるなんて知らなかった。ちょっと歩いてから休むにはいい場所ですね。
 コーヒーを注文してから祖父はそう言った。カップが空だったので、和人もおかわりを頼んだ。ファミレスは家から十五分ほど、駅からも十分程度の場所にあるため、確かに祖父の言う通り少し歩いてから休むにはちょうといい立地だった。しかし、だからといってたまたま僕を見つけることがあるだろうか、と和人は思った。祖父は確実に疑いを持っている。
——ところでかずくん、さっき貴方は英語の勉強をしていると言ったけれど、コーヒー一杯を飲み切るまで教科書も出さずにどうやって勉強していたんですか。
 じっと見つめられ、和人は返答に窮した。口籠る彼に、——私に何か隠していませんか? と祖父が追い討ちをかける。時間稼ぎを求めて厨房に視線を送ったが、頼みの綱は呆気なく切れた。店員が出てくる気配はまるでない。和人は九十の老人の鋭さを前にすべてを諦めようとしたが、そのとき客の入店を告げるベルの音と共に、
——ずっちゃんお待たせ、という恋人の声が響いた。
 のんちゃんは和人の対面に座る祖父を見ると、こんにちはとあいさつしてから首にさげていたフィルムカメラを持ちあげ、——ちょっといいですか、と言った。問われた祖父がなんのことかわからず、はあと空返事をすると、カシャリ、カシャリとカメラが鳴った。
——かわいいですね、いい表情ですねえ、グッドです!
 写真を学んでいるのんちゃんには好みの老人を見つけるとシャッターを切らずにはいられない癖があった。
——こちら、交際しているノゾミさん、と和人は祖父に紹介した。——隠してて悪かったんだけど、実は今日彼女と待ち合わせてたんだ。
——そうだったんですか。それじゃあ私はお邪魔かな。
——私は構いませんよ。一緒にお茶しましょう。
——いや、ちょうどいい時間だし私は失礼します。ノゾミさん、かずくんのことよろしくね。
 そう言い残して祖父は店を出た。残念とつぶやいてのんちゃんはその背中を見送り、和人はほっとすると同時に大事な機会を逃してしまったような気持ちになった。
 店員が二杯のコーヒーを持ってきたので、祖父の代わりにのんちゃんが受け取り、フーと息を吹きかけてから和人の方を窺った。写真の構図でも考えているのだろうかと思っていると、
——ずっちゃん、発作起こした? 大丈夫? と言った。顔色から和人が発作を起こしかけたことを察したらしい。
——なんとか。
——パニック発作ってどんな感じなの。
 考えてみれば、発作のことを面と向かって訊かれたのはこれがはじめてかもしれない。どう伝えればいいのか、和人は少し悩んだ。
——パニック発作を起こすと現実が姿を変える。なんでもない光景や人の群像が禍々しく脅迫的な鬼のようなものに変貌する。発作が治まって日常に帰ってきたとき、しばらくはまだ発作の余韻があって、電車が去ったあとの閑散としたプラットホームに杖をつく老人や鳩が残っている、そんな長閑な光景にすら怯えてしまうことがあるんだ。獰猛な角や鋭利な牙がまだどこかに隠れているように思えてしまうんだよ。老人から杖で殴られたり、ヒッチコックの映画みたいに鳩が僕の目をくり抜こうと襲いかかってきたりする可能性が物理的にゼロにならない限り落ち着けない。こんなものは荒唐無稽な想像なのかもしれないけれど、僕は想像の中で実際に襲われていて、恐怖や痛みを現に感じているんだ。それが発作のあいだの一時的なものだとしても、他人には見えなくても、僕にとってはこれが現実なんだ。だんだん冷静になって動悸が治っても、その現実の余韻が元に戻ったはずの日常を変えてしまっている。だって冷静に考えたら、荒唐無稽な想像じゃなくても、突然の事故や突発的な犯罪に巻き込まれる可能性は常にあって、僕たちが毎日無事に生きていられるのはまったくの偶然でしかないんじゃないか? 僕には自分たちの命がたまたま風が吹かないから消えずにいる灯火みたいなものに思えてならないんだ。
——でも、そんなふうに思っていたら生きていけないじゃない。まさか自殺を考えているの?
——違うよ。僕は絶対に生きていたい。死にたくなんかないよ。ただ、怖いんだ。僕だけじゃなくてのんちゃんや親に何かあったらと思うとさ。
——ちょっと考えさせて。今はなんとも答えられそうにないから。
 話を保留したのんちゃんは、このあと用事があると言って店を出た。一人残された和人は、今度こそ本当に英語の勉強をはじめた。


    6

 

 母の静養も三日目に入り、症状はかなり引いてきていた。峠を越すと登りより下りの方が歩速が増すもので、立つのがやっとだった病人は三日目にして目を見張る回復の兆しを示して家族を安堵させた。長時間立ち働くわけにはまだいかなかったが、復帰がようやく見えてきたところである。麓を視界に捉えた登山の終わりといった状態で、地上への復帰にはあと少しかかりそうだったが、軽く動く分には問題ないとのことだった。この場合の地上とは家事の主戦場である一階のことだったが、たまにそこに降りてきては自分の状態をバッテリーの短いロボットのようなものだと言って笑う余裕が当人にはあり、周囲はそんな姿に安堵しつつも、早く復帰してもらえないだろうかと不安がってもいた。というのも、思わぬ形で兄弟ゲンカが勃発したからである。弟のひとことをきっかけに、食卓はささやかな戦場と化していた。
——おにいちゃんの料理ってさ、気持ち悪い。
 和人はテーブル越しの弟に、——どういう意味だよ、と凄んだ。
——おかあさんの味に似ているのに微妙に違うから、食べてると変な感じがするんだよ。
——嫌なら自分でつくれよ。
 じゃあそうするとと応えると、弟は和人の料理を流しに捨てにいった。食べ物がシンクを叩くボトンという音が爆撃のように耳を襲ってくる。腹の虫が騒ぎ出した和人は、——どうせつくれないくせに、とテーブルに戻ってきた敵を迎え撃った。
——つくれるって言ってるじゃん。
——まあまあ、と祖父が仲裁役を買って出る。
——は俺は食えるなら誰がつくってもいいぞ。
 父親を無視して兄弟は睨み合った。
——おにいちゃんは本当はわざとやってるんじゃないの? 確信犯なんだよ。
——わざとそんなことできるかよ。なに言ってるんだよ。
——嘘だね。おかあさんにはわかるはずだし、おにいちゃんだって薄々は自分のことを疑っているはずだよ。
——なんの話だよ。僕はなにも疑ってなんかない。
 ドン、という大きな音が台所の方で響いた。なにかが床に落ちたようである。和人が見に行くと、コンロの上に鎮座していたはずのフライパンが下に転がっていた。念力で吹き飛ばされたように仰向けになって裏面を天井に晒している。拾おうとすると、——僕がやるからいいよ、と後ろを尾けてきた弟に背中から言われた。勝手にしろと兄が引くと、弟は珍事を起こした品を流しで洗い、自分の料理をはじめた。和人はテーブルに戻り、成り行きを見守っている二人に——ちょっと外を歩いてくる、と言い残して散歩に出た。
 フライパンが床を叩いた衝撃音は、一瞬だけ和人に事故の衝撃を思い出させた。車が電柱にぶつかる不快な音とドンという音とが重なって聞こえたのである。どうしてフライパンが落ちたのだろう? コンロの上に傾けて置いてしまったのだろうか。それともただの偶然だろうか。偶然と言えば、あの事故だって偶然の産物ではないか。本当は僕一人が怪我をして終わるはずだったのに、そうなっていた可能性の方が高かったはずなのに、現実は気まぐれを起こして母に向かった。和人は住宅街を抜け、誰かに導かれるようにコンビニの方角へ足を向けていたが、本人はそのことを意識していなかった。確信犯、と弟は言った。突発的な行動で母の身が危険に曝されることを、自分は知っていてあんな行動に出たのではないだろうか? いや、そんなはずはない。あの事故だって、風に任せて歩いている今の散歩がどこに行き当たろうと、それが偶然に他ならないのと一緒ではないか。しかし、本当にそうなのだろうか……。
 突き当たりの角を曲がれば出会い頭にコンビニが構えているという通りまで来たとき、和人はアパートなのか雑居ビルなのか判然としない建物の前を通りかかった。そこではちょうど、黒いニット帽にマスクという出で立ちの男が立ち止まって、鍵で建物の裏口を開き、濃い影になった中の空間にその身を踊らせたかと思うと、ドン、と大きな音を立てて扉を閉めたところだった。嫌な場面に出会した、と和人は思った。格好のせいで男の印象は殺人犯のようだった。人の耳も憚らず、大きな音を立ててドアから施設に侵入する殺人犯。気にしないようにしようと心がけながらも、コンビニ店のうるさい音楽に出会うまで、和人は頭の中で何度もドンという音を反響させた。
 特に必要なものなどなにもなかったから、適当なお菓子を二つほど籠に入れ、持て余した時間を雑誌コーナーに費やすことにした。週刊誌の一冊を手に取り、表紙も見ずにパラパラとめくってみると、相模原殺傷事件を特集したページに目が止まった。記事には犯人の生い立ちがセンセーショナルに書き連ねられていたが、和人の興味はそこにはなく、掲載されていた写真の、肩の刺青をカメラに誇示する犯人だけに向いていた。装いの厳つさとは正反対に、男の目には弱々しい光が宿っている。まるで自分を疑い、自分には価値がないと怯えているかのようなその目に自分の目を合わせることがやめられなくなった。この目にはどこかで見覚えがある。この犯人のものではなく、もっと身近な、誰か別の人間の目……。
 お菓子を入れた袋をさげて家に戻った和人は、玄関を開けた途端に立ち構える母親と出会い、犯行を目撃された犯罪者のように思わずギョッとしてしまった。
——どこに行ってたの。
——ちょっとコンビニ。それより、起きあがってて大丈夫なの?
——もうだいぶめまいも引いてきたわ。おじいちゃんには明日帰ってもらうことにしたよ。おばあちゃんをいつまでも一人にさせておくわけにもいかないし。明日からは家事も私がやるけど、あんたはどうするの?
 ちょっと考えると応えると、母は和人の先を歩いて居間に入っていった。
 ただいま、と言いながら母につづくと、弟の存在を無視しつつ、——明日帰るんだってね、と祖父に声をかけた。
——ええ、お世話になりました、とおじぎされたので、こちらも頭を下げていると、——コップ忘れたから取ってくる、と母が二階に向かった。その隙をつくかのように祖父が、
——ノゾミさんによろしくね、と悪戯っぽく言った。
——ノゾミさんって、おまえ、カノジョか。おまえカノジョいるのか。
 妙な察しのよさを見せた父が鼻息も荒く問い詰めてくるので、和人は、——いるけど、そのカノジョって言い方やめてよ、と言った。——カノジョって、本来ならただの三人称で、文脈がないと誰のことかわからないじゃん。この場合の文脈って「おまえの」カノジョとか「俺の」カノジョってことになるわけだけど、それだと人のことをまるで所有物にしているみたいで嫌なんだよ。
 父はまた小難しいことを、とつぶやきはしたが、ひとまずカノジョとは言わなくなった。——で、そのノゾミさんってどんな娘なんだよ。
——どうでもいいだろ、と突っぱねていると、——かずくん、ちょっと荷造りを手伝ってもらえませんか、と祖父が助け舟を出してくれた。
 和室に行ってみると、祖父の荷物はすでにほとんど整頓されており、あとは壁際に並べた服をボストンバックに詰めれば済むだけの状態だった。祖父がその最後の仕上げに取りかかるので、和人は手を持て余し、手持ちぶさたにてきぱきとした九十の老人を眺めているしかなかった。
——あの事故以来、貴方たち兄弟の仲をずいぶん心配したものです。言ってみれば貴方は、弟から母親を奪いかけた兄なのですから。
 作業の手を休めず、祖父はつづけて、——でも、今日の貴方たちを見て安心しましたよ。ケンカするほど仲がいいと言いますよね。世の中にはケンカもできないほど険悪な関係の兄弟が五万といますから。けれど、私が帰ったら仲直りしてくださいね。
——むこうが謝ってきたらね。
——兄弟というのは不思議なものです。親の関係ともちょっと違う。ふつうに生きていれば親とはいつか死別しますが、兄弟はなかなかそうはいきません。貴方たちの関係が一生つづくんです。そのことをよく考えて振る舞ってください。
 和人は曖昧にうなずき、お茶でも持ってくるよと言い置いて居間に戻った。そこにはいつの間にか母がいて、——カノジョいるんだってね、聞いたよ、と言われた。
——まあ、いるけど。
——「まあ、いるけど」じゃないわよ。今度、そのカノジョに会わせなさいよ。
——そのうち訊いてみるよ。
——そう言ってなあなあにしないでよ。こういうのは早い方がいいんだから。
 母はもう十分元気になっていた。


 翌日、母が回復したため和人はひさしぶりに自分のベットで目を覚ますことができた。枕元の時計に目をやると、針はすでに昼前の時刻を指している。大きく息を吐いた和人は気怠く身を起こし、階下へ降りることにした。一月にしてはめずらしい陽気な陽射しが家中の窓を明るくしている。居間に入ると、帽子を被った祖父が立ちあがろうとしているところだった。
——おじいちゃん、もう帰るの?
——ええ、そろそろ行こうかと思います。
 平日だったため、父と弟は朝には家を出ており、念のためもう一日安静にしていることになっていた母は家を離れられなかった。祖父を見送るために、和人は慌てて外出できる格好に着替えた。
 玄関の外では、活発な朝を終えた住宅街が暖かい陽射しの元で微睡んでいた。明け方に新聞配達が通った道を今はゴミ収集車がのろのろと這い、家々の戸口の一つからゴミ袋を抱えた女性が慌てて飛び出してきた。和人と祖父はそんな住宅街をゆっくりと歩いた。
 平坦な道で並んでみると改めてわかったのだが、祖父の足は昔と比べて明らかに衰えを見せていた。去年の大きな手術が場合によっては命に関わっていたことを思い、祖父が歩速を気にしないで済むよう、祖父よりもゆっくり歩こうと心がけた。駅まで十分の道のりが十五分になった。
——ここまでで大丈夫ですよ。
 駅前に来たところで祖父が言った。
——わかった、気をつけてね。
——今日までお世話になりました。ありがとう。
 祖父が握手のために手を差し出してくる。握ると、シワを意識せざるを得ないカサカサした皮膚が不思議と和人の手よりも温かかった。
——去年は自分が見舞われる方ばかりだったからわかりませんでしたが、見舞う方というのもなかなか辛いものですね。娘が目の前で苦しんでいるのに、本当のところそれがどんな苦しみなのかわかってあげることも、代わって苦しんであげることもできないんですから。私にできるのはただ回復を待つことだけでした。私みたいな老人にこんな思いをさせないように、かずくんはくれぐれも身体に気をつけてくださいね。では。
 そう言い残して祖父は帰っていった。
 家に引き返す道々、なぜか和人は無償に恋人に会いたくなっていた。今日の夕方、部屋に来ない? 泊まっていっていいから、というメールをのんちゃんに送り、午後には実家を出てアパートに戻ろうと決める。パニック発作は電車に乗ることを契機に起きることが多かったが、帰宅ラッシュがはじまる前の人の少ない平日の午後なら、なんとか自力で帰れるはずだった。
 玄関を潜り、居間にいた母に昼過ぎにはアパートに戻ると告げると、——あんた、その前に手を洗ってきた方がいいんじゃない? 左の手首に刺青みたいな汚れがついてるよ。
 確かに母の言う通りだった。左手首に十字ともバツ印ともとれる黒い汚れがついていた。短い外出のどこでこんなものがついたのだろう? 居間を抜けて洗面所に行き、冷たい水に手首を晒して念入りにこすってみたが、汚れはなかなか落ちなかった。諦めてふと顔をあげると、鏡の中で弱々しい光を目に宿した自分と出会った。
 約束の時間になって荷物をまとめた和人は、母を一人残して駅へと向かった。電車に乗る前から軽い動悸と迫り上がってくるような恐怖心が湧いていたが、それはいつものことだった。移動時間の四十分、この症状が叙々に増していくのに耐えなければのんちゃんに会うことができないのだ。和人は意を決して改札を潜った。
 アパートの前に着くと、夕方の約束だったのにすでに来ていたのんちゃんが、——ちょうどよかった。今、電話しようと思ってたところだったの。早く来ちゃったから急いでって、と言った。もう十分ほど和人の到着を待っていたというのんちゃんを早く部屋にあげようと、リュックを下ろして鍵を探していると、アパートの向かいにある家から老婆が出てきて、じっとこちらを眺めはじめた。
——あのおばあさんいつもああやって見てくるよね。監視カメラみたい。
 のんちゃんに急かされながら部屋に入る。身体が冷えてしまったという彼女をソファに座らせ、和人はコーヒーの用意をした。暖房を入れ、隣に座りながら他愛もない話をする。和人は自分が欲望を感じていることを意識した。手を握り、軽くキスをすると、和人の行為を遮るようにのんちゃんが切り出した。
——あのね、この前のことなんだけど。
——この前のことって?
——ファミレスで発作が起きたらどんな感じなのか訊いたでしょ。あのときから、ずっちゃんの話を聞いてずっと考えてたんだけど、やっぱりどれだけ説明してもらってもずっちゃんの苦しさとか痛みが私にはわからない。自分が似たような経験をしていれば、その経験から照らし合わせて想像することもできるかもしれないけれど、それだって想像であってずっちゃんが感じているまさにその痛みではないもの。それに、こうやって他人の痛みについて考えつづけていると、いったい自分がなにに悩んでいるのかだんだんわからなくなってくるの。ずっちゃんが感じている「まさにその痛み」という言い方を私はしたけれど、「まさにその痛み」が生じているまさにその瞬間、私がやるべきことは痛みについて考えることではなくてずっちゃんを落ち着ける場所に連れて行くことだよね。他人の痛みがわかるとかわからないとか言っている余裕はないはずなの。だとしたら、ずっちゃんが発作を起こしたという具体的な<場>を離れたところでいくら痛みについて考えても仕方ないと思う。大事なのは抽象的な問題じゃなくていざそのときに私が行動できるかなんだから。
 そこまで言うとのんちゃんはコーヒーに口をつけ、先をつづけた。
——そもそも「痛い」という言葉は、まだ言葉を持たないくらい幼かった頃、転んだ拍子に膝を擦りむいて泣いたときに親から「痛いね、痛いね」と言われて身についたものだと思うの。大人は赤ちゃんが泣き叫ぶ代わりに「痛い」と口にする。「痛い」っていうのは周りにそれを知らせて助けを求める声であって、「痛み」と形を変えても事情は一緒。泣き叫ぶことの代替行為なんだよ。「痛い」を聞く他人がいなければ痛みは存在できないの。だから「痛み」という言葉そのものが厳密には痛みの感覚それ自体を指していない。大事なのはそれを聞いたときに行動できるかであって、他人の痛みそのものを感じられるかという抽象的な問題じゃない。ずっちゃんは発作が起きても隠そうとするから、私が気づいてあげられるかが問題なの。
 のんちゃんの長い話を聞き終えると欲望はすでに引いていて、和人はここまで自分のことを考えてくれる恋人に感謝した。二人はその後もお喋りをつづけ、並んで座ったまま夜を迎えた。


    7

 

 真夜中に通知を知らせる携帯のバイブレーションが鳴り、眠りの浅い和人は目を覚ました。隣で寝息を立てている裸ののんちゃんを起こさないように気をつけて頭をあげると、枕元でのんちゃんの携帯が光っている。青白いディスプレイの輝きが天井に向かって放射状に放たれ、和人の目を冷たく刺激した。霞む視界にこらえながら携帯を手に取ってみると、「マコト」という人物から——昨日は会えなくて淋しかった。愛しているよ、という短いメッセージが送られてきていた。
 女友達がふざけてやったことかもしれない。「マコト」という名前から男なのか女なのかを判別するのは難しいから、その可能性はゼロではない。しかしいずれにせよのんちゃんからそんな名前の友達がいるとは聞いたことがなかった。隠していたのだろうか。和人にはベットを共有している恋人が突然得体の知れない女になったように思えた。一方でのんちゃんが自分を裏切るはずがないという気持ちはまだ捨てていない。彼女のことをすべて知っているわけではないが、多くのことが自分の元で明るみに出ているはずだった。いや、ほとんどのことを僕は知っている。僕たちはふつうの恋人とはちがう結ばれ方をしているのだから。
 その事件はのんちゃんとつきあい出して一年が過ぎた頃に起きた。当時はまだ会社で働いていた和人の元に、唐突にかかってきた一本の電話がすべてのはじまりだった。
——和人さん、私もう駄目かもしれない。
——のんちゃん? いったいどうしたの?
——私になにがあっても、これだけは覚えていて。私はあなたのことが本当に好きだった。
 これだけ言うと、かかってきたのと同じ唐突さで電話は切れた。
 和人が事態を理解したのは半日後、仕事を終えてアパートに帰宅した際、改めて彼女と連絡を取ったときのことだった。昼のあれはなんだったのか訊ねると、のんちゃんは次のように答えた。
——今まで隠していてごめんなさい。実はうちのおとうさん、お酒を飲むと人が変わってみたいに暴れるの。今までも私やおかあさんに手を出すことはあったんだけど、今日はそれがエスカレートして、包丁を持ち出して暴れたから、私、もう駄目かもって思って。
——怪我はない?
 かろうじて和人はそれだけのことを言えた。
——うん、大丈夫。もし今日、またおとうさんがなにかしたら警察を呼ぶつもり。だから和人さんは心配しないで。
 こう言われて心配しない恋人がいるだろうか。和人はスーツを脱いで身軽な格好に着替え、以前教えられていた住所を頼りに彼女の実家へ向かった。
 横浜市の外れにあるその場所は、夜も深いというのにパトカーのランプに照らされ赤々と明るんでいた。家の前に警察の車が三台も並んでいる。戸口の前では警官に囲われた男が——離せ、離せ、と叫んでいた。あれがのんちゃんの父親だろうか。
——和人さん?
 一台のパトカーの後ろから人影が現れ、近づくに連れてのんちゃんの姿になった。赤い光の中で顔がやつれている。
——大丈夫?
——私はなんとか。来てくれたんだね。
 和人がうなずくと、のんちゃんは手を握ってきた。そのタイミングで救急車がやってくるのが見えた。
——誰か怪我したの?
——おかあさんが腕を切られたの。
 和人の意識はだんだんと現実に追いつけなくなっていた。目の前でたくさんの警察がうごめいていることにも、包丁で人が切られることにも現実感がなかった。ワイドショーの中に迷い込んでしまったのだろうか。
——おかあさんが連れていかれたら、私、ここで一人になっちゃう。お願い、和人さん、私を連れて逃げて。
 つないだ手に力が込められる。和人は自分がなにをしようとしているのかわからないまま——うん、と言い、今夜身を寄せられるホテルを探した。
 横浜駅からほど近い場所に泊まることのできるビジネスホテルを見つけた和人は、のんちゃんを連れて部屋に入るなり固くドアを閉めた。落ち着いた茶色の絨毯に肌色の壁、西向きに大きな窓があり、窓の手前にソファセットとフロアライトがあった。ミッドセンチュリーというのだろうか。泣けなしの選択肢だったことを考えれば十分に快適な部屋だった。和人はもう大丈夫と声をかけるが、のんちゃんはベットの端に体育座りするなり顔を伏せて震えている。——おとうさんが追いかけてくる気がするの、と言って動こうとしない。大丈夫だよと励まそうとした和人は、なにが大丈夫なのか自分でもわからなくなって口を閉ざした。
 無言の重い時間がつづく。テレビを点けて沈黙をかき消そうとしたが、すぐに——消して、と言われてしまった。話しかけても反応はない。一度だけ、——おかあさんは大丈夫かな、と口にしたときに顔をあげたが、それ切り彼女はいっそう深く顔を膝のあいだに埋めてしまった。耐えきれなくなった和人はシャワーを浴びてくると告げて浴室に入った。清潔なユニットバスと大きな鏡が迎えてくれる。気分が落ち着くかもしれないとお湯を浴び出したが、目を瞑ると途端に不安が襲ってきた。すぐ近くに誰かがいるような気配がする。気のせいだと首を振り、頭を洗っていると、肩の辺りを誰かが触れたような気がした。——のんちゃん? と和人は呼びかけるが、返事はない。怖くなった。たとえすぐ近くにいなくとも、なにかが自分たちに迫ってきている。
 急いで身体を拭き、和人は浴室を出た。のんちゃんは相変わらずの姿勢でうずくまっている。少し冷静になろう、と和人は自分に言い聞かせた。僕まで取り乱してどうするんだ。
——ここは安全だよ。おとうさんは今ごろ警察だろうし、誰も追いかけてきたりしないよ。
——わかってる。けど、誰かの足音がさっきからずっと聴こえてるの。それがちょっとずつこっちに近づいているような気がして……和人さんには聴こえないの?
——なにも聴こえないよ。
 嘘だった。和人の耳にも、微かにではあるが足音がする。硬く冷たい靴が床を叩きながらゆっくりこちらにやってくる音だ。こんなものは幻聴だ、ただの気のせいだと胸の中で何度も言い聞かせているが、音はいっこうに止もうとしない。身体を洗ったばかりなのに、額に汗が滲んだ。
——仮になにかが近づいてきているんだとしても、それはおとうさんじゃないよ。のんちゃんにはなにもしない。
——わかってる、そうじゃないの。私は和人さんが心配なの。和人さんがいなくなったら、私、本当に一人になってしまうから。
 恋人の言葉に和人はたじろいだ。のんちゃんは僕を心配しているからうずくまっているというのか。なら、こちらに向かってくるあの足音はなんなんだ。靴は先ほどより荒々しく廊下を叩き、攻撃的な反響が部屋の壁を抜けて和人の鼓膜を襲っていた。もはや幻聴とは言えないほどはっきりとした音だった。廊下のなにかは確実にこの部屋の階にいて、廊下を歩いて今にもここへやってこようとしている。また足音が近づいた。のんちゃんは両耳を塞いで頭を抱えるようにしている。——怖い、とその口から漏れた。恐怖が和人にも伝染した。そしてドアノブが下がり、そっと扉が開いく……


 眠りかけていたことに気づき、和人はベットから抜け出してソファに座った。記憶と混濁した嫌な夢を気持ちから振り払う。今は冷静にならなければいけない。のんちゃんが起きてくるのを待って、自分が抱いている惨めな疑いがつかの間の亡霊であることを証明してもらおう。それまでは寝ずにいると決めたのだ。
 右を見る。布団を被ったのんちゃんが安らいでいる。和人はソファの縁に頬杖をつき、彼女のもつれた髪と開き加減の口を憤りもなくしばし見つめる。たぶん、すべてを打ち明けたわけではないのだろう。あのとき、ビジネスホテルの一室で彼女は長い時間をかけて自分の人生を詳らかに語ったが、まだ話していない出来事が話したことと同じくらい多く存在しているのだ。その影の部分に「マコト」は含まれている。不意打ちに現れた彼は一人の人間をすべて知った気になっていたことへの罰なのかもしれない。少し頭を冷やした方がいい。和人は洗面所で顔に水をかけ、それでも飽き足らず、上着を羽織って部屋を出た。雪が降っていた。ドアの前にある柵にもたれかかり、アパートの二階から無人の通りを眺める。明け方にも満たない時刻、向かいの家の監視カメラも今は寝入っているようだった。家々の窓をかさかさと雪が一撫でしていく。和人はこの景色の中に溶けてしまいたいと思ったが、それものんちゃんが目を覚ましてからにしようと自分に言い聞かせた。今は朝を待つんだと決めてしまうと、急に眠気と寒気に襲われた。和人は部屋の中に引き返すことにした。
 ぜん息の発作を深夜に経験したときもこんな気持ちだったろうか。のんちゃんはまだ眠っている。その顔を眺めていると永遠に朝が来ないような気がしてくる。このまますべてを曖昧にして、時を止めてしまうこともできるのだ。のんちゃんが目覚めてもなにも訊ねず、なにも見ずに今日をやり過ごしてしまう。そうすれば垣間見た深淵と無縁に彼女との生活をつづけていくことができる。幼かった頃にはこんな選択権はなかった。病気の子どもはずっと親を待つ他にはなにもできない。それと比べれば今は幸せですらある。和人は上着のままソファに寝そべった。
 頬を焼く陽射しを感じ、いつの間にかうたた寝していたことに気づく。変な姿勢でよこになっていたために首や肩が痛い。伸びをしながら部屋を見渡すと、のんちゃんがいなくなっていた。
 慌てた和人は誰もいないベットやトイレを確認し、本当にいなくなってしまったのだと理解した末、テーブルの上の書き置きに気がついた。そこには「用事があるので帰ります。愛しているよ」と書かれていた。書き置きを手にしたまま、和人は恋人の名前をつぶやいた。のんちゃんは「マコト」のところに行ったのだろうか、それとも言葉通りなにか用事があったのだろうか。しかし、用事とはいったいなんだろう。和人は渦のような思考に飲み込まれていった。そのせいで、電話で直接訊いてしまえばいいという単純な解決策を思いつくのにしばらく時間がかかった。彼女がこの場にいなくとも連絡を取ることはできるのだ。和人が携帯を手に取り、通話用の画面を表示していると、そのタイミングで誰かから電話がかかってきた。携帯を操作しているところだったせいで、発信元を見る間もなく電話がつながった。
——もしもし、という母の声である。——今ちょっと大丈夫?
——うん。
——おじいちゃんのことなんだけどね、あんたの状態、全部話しちゃった。
 え、と和人は声をあげた。ショックを与えないよう隠せと言ったのは他ならぬ母だったはずだ。——どうして? と和人は言った。
——あんたのことでいろいろ考えたんだけどね、もし仮によ、もし仮に生まれたときからあんたが今の病気になるとわかっていたら、どうしただろうって。最近は妊娠中に子どもの障がいを検査できるそうじゃない。親によってはわかった段階で中絶を選ぶ人もいるんだってね。パニック障害は生前にはわからないだろうけど、もしわかったとしたら、あんたを中絶していたかなって、自分に訊いてみたの。答えはノー。そんなことはしなかった。負担を強いられてもかまわないと思ったから。でももっと考えると、たとえ子供への愛情が間違いのないものであっても、具体的な毎日の負担は人を消耗させるものだから、追い詰められたときに普段なら想像もしないような行動に出たりすることもあるかもしれない。あんたを殴って病気のきっかけをつくったっていう男も、きっと何かに疲れ切っていたんでしょう。子育てをすれば、誰しも子供に怒りを覚える瞬間があるものだから、咄嗟に我を失うということはわからなくもない。もちろんだから人に暴力をふるっていい理由にはならないけどね。今は女性も働くのが当たり前の時代でしょう。もし、その男と同じような精神状態の女性がいたとして、その人が妊娠して、ストレスの後遺症が抜けきらないまま子どもの障がいを知らされたら、「この子には価値がない」と思ってしまっても不思議ではないのかもしれない。でも、それは愛情がなくなったからでも、ましてや本当にその子供に価値がないからでもない。母親を助けるための手を誰も伸ばさない、そんな周囲の環境に問題があるのよ。病人はその子ではなくて私たちの方なんだろうなって考えたの。きちんと話をきいてあげて、きちんと話してあげることが必要なのよ。あんたを病気にした男と同じように暴力に訴えるんじゃなくてね。人っていうのは、話すことをやめたときに手を振るうようになるのよ。だから、おじいちゃんに黙っていることは、あんたに対してもおじいちゃんに対しても暴力なんだって気づいたの。だから話したの。おじいちゃん、辛いだろうけど頑張れって言ってたよ。ショックで倒れるなんてことはなかった。そんなに弱い人じゃないのよ。
 母の長いひとことのあとに、和人は——うん、と応えた。
 電話を切った和人は、のんちゃんと会って話し合おうと決めた。どんな答えが返ってきても、きちんと言葉で彼女と向き合おう。ケンカになったって構わない。不安を抱いている今の状態に絶望して、黙って嫉妬だけを膨らませていけば、きっとあの男と同じになってしまう。人は表現することを放棄したときに最悪の暴力に手を出すものなんだ。たとえケンカになったとしても、不安にながら自分の言葉が相手に届くことを願うしかない。和人はのんちゃんと連絡を取り、会う約束を取りつけた。

 

シスターフッド


    1

 

 文藝2020年秋号に掲載された高島鈴のエッセイによれば「シスターフッド」とは勝つための政治的戦略なのだという(「蜂起せよ、<姉妹>たち シスターフッドアジテーション」)。なるほど、構造的に分断を強いられてきた女性たちに連帯と団結を呼びかけたこのエッセイはアジテーションたりえているが、一方で高島が掲げる「sisterhood」という言葉に含まれる「hood」とは「覆い」のことにほかならず、「シスターフッド」とはなにか決定的なものに覆いをかけたところで成り立っている概念なのではないかという疑問を抱いた。その決定的なものとなんであろうか。具体的にみていきたい。
 高島は前述のエッセイの最後で「他ならぬあなた」と読者に対して信念の共有を呼びかけているのだが、男性や、女性であっても自分の論に賛同しない者がこの「他ならぬあなた」に含まれているようには見えない。実際、高島は自分が呼びかける読者の条件として「あなたがこの戦略を信じてくれるなら」というものをつけている。僕はここに違和感を抱いた。高島の手は「シスターフッド」という信念を受け入れた読者の「胸ぐら」を掴むことはできているが、信念に共感できてもそこからはみ出てしまう読者は素通りしてしまっている。後者の例としてたとえばこのエッセイには男性のフェミニズムの可能性が決定的に欠けているし、フェミニズムに参加することができないトランスジェンダーの微妙な葛藤が考慮されていない。身体的には女性だが性自認は男性であるような人物はこのエッセイをどう読めばいいのだろうか。そういう疑問を持ってエッセイを読み返すと、高島の「他ならぬあなた」には他者としての「あなた」が欠けていることに気づく。反論する者は「シスター」にあらずと暗に宣言しているように読めるのである。しかし、むしろこのエッセイに反論を企てるような「あなた」を「シスター」として包括するときにこそ、「シスターフッド」という政治的戦略は勝利を収めることができるのではないだろうか。
 以前このブログで論じたため詳細を省くが、ヴァージニア・ウルフは『ダロウェイ夫人』のなかで特異な手法によって個々人の感覚の差を描いている。(拙論「偏在する「私」——ヴァージニア・ウルフ『ダロウェイ夫人』について」https://iebayokatta.hatenablog.com/entry/VirginiaWoolf/MrsDalloway)。ここでいう「個々人」には当然女性同士も含まれており、むしろ階級や境遇に差のある女性同士にこそ感覚や価値観に違いがあり、確執があることが描かれていた。つまり女性である「私」が女性である「あなた」に対して暴力的であることがありうるのである。たとえばそれは作中でダロウェイ夫人が結婚したことでかつての魅力を失ってしまった幼馴染みのサリーに抱く視線や、何より容姿が醜いという自覚のために結婚を諦めそのかわり学者顔負けの知識を得た自立した女性である家庭教師のミス・キルマンに対して持つ敵愾心によってありありと明かされている。一方でサリーやミス・キルマンの内的独白を介して富を好み貧を蔑むダロウェイ夫人の俗物さも批判的に描かれており、彼女たちが同盟を結ぶことの難しさを伺わせる。それではウルフはフェミニズムに否定的だったのだろうか。そうではないことは史実が明らかにしている。むしろウルフこそ第一波における代表的なフェミニストだった。『三ギニー』や『自分ひとりの部屋』を読めばそのことは明らかである。ウルフは『ダロウェイ夫人』において「シスター」になれずにぶつかり合うような人々の間にこそ人生の美しい瞬間が訪れることを描いており、どのような価値観もありのまま内包する視点にこそフェミニズムがあると考えていた。
 こうして書かれた『ダロウェイ夫人』には女性だけでなく戦争で負った精神的外傷がもとでPDSDを患い周縁に追いやられた男性をも包括する視点を持った作品となり得ている。多様な価値観の間で「私」が意見も立場も異にする「あなた」と隣り合う世界を肯定しているのである。個々人において感覚も立場も異なる世界ではぶつかり合いや諍いが絶えないかもしれないが、それでも一つの価値観を強行して「あなた」を許容しない世界には存在しない美しさがある。僕はウルフが描いてみせたような異論や反論を内包してしまうような豊かな視線をこそ「フェミニズム」だと考えたい。高島はラディカルという言葉を「過激」と解釈することを退けているが、僕が考える「フェミニズム」はむしろ「フェミニストでなければ人にあらず」といった過激さを肯定している。その過激さが宿す暴力性を自覚し、具体的な身近な他者との関係において自分が暴力でありうるとおののいたときに本当の勝利が訪れると信じるからだ。大事なのは「あなた」との具体的な関係において「私」が暴力であるという痛みを伴った自覚が生じるか否かであり、痛みのないところで成立するどんなフェミニズムにも僕は興味を抱けない。「他者との関係において痛みを恐れるな」というメッセージこそが女性以外をも含んだ本当のアジテーションとなりうるのではないだろうか。

 

    2

 

 しかし、僕が示した程度の認識なら文藝2020年秋号に掲載された作品のなかだけでも小澤英実や王谷晶がより深く省察しており、高島鈴のエッセイにしても僕がしたような批判など百も承知で書かれているのかもしれない。男性である自分が余計な嘴を挟む余地はないのではないだろうか。また、男性の目線から「シスターフッド」を語るという点ではTVODによる「シスターフッドについて語るわれわれというブラザーフッドについて」で十分に記述されており、彼らの認識は概ね頷けるものとなっている。それゆえこの原稿は没にしてさっさと忘れてしまおうかとも考えたのだが、そうするには小骨が喉に刺さっているような違和感がどうしても拭えないのである。なにかが引っかかっているようだ。この引っかかりがなにに起因しているのか考えるにあたって、足がかりになりそうなのは何人かの執筆者が「シスターフッド」というテーマに対して困惑したという事実を書きとめていることである。彼女たちは何に困惑したのだろうか。
 この点についてもっとも率直に語っていると思われるのが秋元才加のエッセイ「手を取り合い、最短の道を行く」である。彼女がそこで挙げている理由は「シスターフッド」という言葉を知らなかったからというものだ。正直に告白すれば僕自身も文藝で特集が組まれるまで「シスターフッド」という言葉を知らなかった。しかし、これは本質的な理由ではないだろう。もっと重要なことを小澤英実が「抗体としてのシスターフッド ともにあることの認識論」で示している。小澤はそれを高島鈴の論考から引いて「ホモソーシャルゾンビ」と表現している。「女が三人集まると、大抵ほかの二人が仲良くなって自分が余計な存在に思えたし、集団では輪に入れない劣等感があった」。僕は女性ではないがこの感覚はよくわかる。僕自身「ホモソーシャルゾンビ」にほかならないのだろうが、それはともかく、連帯を掲げれば孤立する人が出てくるのは避けられない事態なのだ。「シスターフッド」が女性たちの連帯を目指す以上、その輪に入り切れない「ホモソーシャルゾンビ」は一定数あらわれる。彼女たちのなかには「シスターフッド」を公然と批判する者もいた。小澤が挙げた代表的な例としてはスーザン・ソンダクやハンナ・アーレントといった思想家がそうである。彼女たちのような連帯できなかった女性は切り捨ててしまえばいいのかというと話はそう簡単ではなく、彼女たちのような思想家こそが女性の権利拡張に貢献してきた。この事実は無視できないものである。
 何人かの執筆者が「シスターフッド」という言葉に困惑したのは、小澤と同様に自分が「ホモソーシャルゾンビ」だったという感覚があるからではないだろうか。人々を一定の方向に仕向けたときに多かれ少なかれそれに乗れない個々人の感覚差が出てくるのは当たり前で、そうであれば表面的には連帯しているように見える人々の間にも差異が生じてくるのは必然である。「シスターフッド」という一つの方向は個々人の感覚差を押し殺したところで成り立っており、特集に書かれた各論からはその軋みが微かに聞こえてくる。小骨のような引っかかりとはこの軋みにほかならない。この小骨を抜く方法は一つであり、それはたとえ一定の方向のもとに各人が団結することを目指す場合であっても、個々人の差異を許容し、「私」にとっての「あなた」が生じるような関係性を殺してはならないというものである。「シスターフッド」による連帯とは全体性ではないはずだ。
 「シスターフッド」が意見を異にする「あなた」を許容し全体性から逃れるためにはどうすればよいのだろうか。そのヒントは小林秀雄の「表現について」に書かれている。音楽を歯切りにした芸術一般の表現について語ったこの論考のなかで、小林は小説家が扱っているのは言葉ではなく描写の対象となる事物であると主張する。言葉ではなく事物を扱って思考することを仮に「小説的思考」と呼ぶことにするが、「小説的思考」の代表的な機能は隠喩ということになる。なぜなら彼の扱う言葉はすべて思考の対象となった事物のメタファーであるととれるからである。また隠喩とは事物Aと事物Bを並置することで第三の意味を産出する技法であり、意味を生み出す能力であるということができる。さらにこの能力を分析してみると、隠喩は事物Aである「喩えたもの」と事物Bである「喩えられたもの」に分解して考えることができる。この場合、一方で「喩えたもの」は「喩えたもの」ならざるものと化し、「喩えられたもの」は「喩えられたもの」ならざるものと化す。たとえば「彼は犬のような男だった」という一文を考えてみよう。この文のなかでは事物Bの「喩えたもの」である「犬」は単なる「犬」を意味するのではなく、卑屈さや隷属のニュアンスとなって更新され、一方で事物Aの「喩えられたもの」である「男」は人間のなかの男一般を指すものではなく「犬」の性格を付与された者となり、男一般とは区別される。このような隠喩的関係が成立した状態で「犬」という言葉を使ったとき、それが指すのはもはや犬ではなく人間である。犬としての「犬」という言葉はこのとき空洞化されているのである。意味を産出する隠喩は裏の顔として意味を剥奪する側面を持っている。

 

    3

 

 小林秀雄は「様々なる意匠」で〜主義という視点で文学を見つめることを批判した。「意匠」とは上述で分析したような隠喩が産出する「意味」である。これは「意匠(=〜主義)」もまた意味を生み出す裏で意味を空洞化していることを示している。小林秀雄はだからこそ「意匠」を批判した。彼の批判もあってか現代において「意匠」はもはや滅びたと思っていたが、立ち止まってみるといま現在にこそ「意匠」は亡霊のように跋扈しているのではないかと思われてくる。しかも現在の「意匠」は〜主義というかたちを取らないだけに幽霊の如く捉えにくくなっているのではないだろうか。たとえばその例として「ジェンダー」が挙げられる。現在の文学の潮流において「ジェンダー」は主要なテーマの一つとなっており、まさに一つの「意匠」の体をなしているが、現代の文学において「小説的思考」を介して描かれた「ジェンダー」という隠喩的テーマは今まで不当な扱いを受けてきた社会における女性の存在に光を当てたが、一方その陰で生身の女性を生きづらくしている側面もある。専業主婦としてパートをしながら働くこと、夫に扶養されることに安らぎを覚える女性は一部の「フェミニズム」を自分に対する批判だと思うだろうし、「女性専用車」のような公正なふりをしていてその実差別的な奇妙な存在がまかり通ってしまっている。これらが陰の例証である。これらの陰は、たとえば文藝における「シスターフッド」特集のような、執筆者全員がある程度おなじ一定の方向性を持つために多様性が失われている状態にもありありと痕跡を示している。「意匠」としての隠喩がある意味に焦点を合わせることであるとするなら、合わせられた焦点を横へズラすものとして換喩というものが考えられる。詳細は後述するが、換喩は小説においては文体の工夫というかたちを取り、小説の外では批評というかたちを取る。そのため仮に換喩による思考を「批評的思考」と呼ぶことにするが、この「換喩的思考」が蔑ろにされてしまったせいで隠喩的作品に満ちた一部の文芸誌において全体性のごときものが生じてしまっていると考えることができる。「小説的思考」の光によって焦点を当てられた「意匠」に対し、「批評的思考」は換喩的にその焦点をずらし、光によって見えなくなった陰を明るみに出すことができる。それが「批評的思考」の役割なのである。
 そのような「批評的思考」を有した作品として『ダロウェイ夫人』を読み返してみよう。この作品は第一波のフェミニズム運動の最中に書かれており、その意味では「フェミニズム」という「意匠」を有したものだと言えるのだが、ウルフは意識の流れと内的独白を駆使した実験的文体を創造することにより「意匠」による焦点の一点集中を防いでいる。その実例が前述したPDSD(シェルショック)を患った男であるセプティマスの視点であり、セプティマスの混乱した意識とダロウェイ夫人の端正な意識とが部分的に重ね合わせられ、二人を一種の分身のような関係として描くことで「フェミニズム」という一つの視点では括れない多様性を作品に付与することに成功している。これは従来の小説を批評的に検証し、その結果を文体に込めたウルフの「批評的思考」の成果である。「批評的思考」はこのように一つのテーマで全体を支配することから作品を解放し、換喩的なズレを生じさせている。
 文体に工夫を凝らしているために反面では読みにくくなってしまっている『ダロウェイ夫人』と文藝のシスターフッド特集に収録されている王谷晶の『ババヤガの夜』を対比してみると、まず目につくのは文章の読みやすさである。『ババヤガの夜』は『ダロウェイ夫人』と比べれば立ち止まることなくスムーズに物語を追っていくことができる。その物語についてなのだが、冒頭でまだ固有名詞が明かされる前の主人公である女が男の集団を打ちのめすという場面が描かれている。僕はこの場面になにかルサンチマンの解消のようなドロッとしたものを感じた。実際、女が男たちをなぎ倒していく展開は倒される男たちの一人が口にした「ひでえブスだな」という台詞の直後であり、ルッキズムに対する女の復讐がなされたように読めるのである。もちろん、だからダメだと言いたいわけではない。復讐は復讐を生むというありふれた台詞を吐くつもりはないし、ルッキズムの問題はそれとして解決されるべきものに違いないからである。ただしおなじ問題を扱うのであってもウルフなら違うように書いただろうとは言える。少なくとも文体の工夫という換喩的な要素が前面に出ていたであろうことは想像に難くない。そしてウルフとのこの差異は王谷晶個人の資質による問題ではなく、時代の潮流が関わっている。
 隠喩的な「小説的思考」と換喩的な文体への志向は努力のベクトルがまったく違う。古井由吉大江健三郎といった、いまとなっては前時代の作家には換喩的に振る舞うことが許されていたが、それというのも「戦争」という大きな物語が時の流れとともに解体された時代、文学が何を描くべきかが模索されていたときに「書くべきものは何もないがそれでも書く」という姿勢が許容されていたからこそ有効だったものであり、10年代も終わりを迎え、「戦争」の代替品として「ジェンダー」や「人種」が拵えられるようになった現在には受け入れられないものとなっている。隠喩的に一つのテーマに焦点を合わせて掘り下げるのが現代の潮流なのである。

 

    4

 

 現代のフェミニズムの運動が主張するのは「女性が虐げられてきた」という社会構造が孕む問題である。なるほど、「女性が虐げられてきた」というのも「トランスジェンダーが不当に差別されてきた」というのも事実にほかならない。しかし、こういう批判には自分こそが彼女らを虐げたという暴力的な自己認識が欠けており、そのために単独者として真の正義を成す機会からは遠ざかっている。男性として、女性として、生まれてきた時点で他の性のあり方に対して暴力的にならざるを得ない、関係が強いるこのような構造をどれだけ意識できるかが大事であり、この意識のないところでなされた批判はどれだけ鋭いものであっても意味をなさない。なぜならそこには自分が正しいというケチな傲慢さがあるからだ。具体的な身近な人との関係において、自分はこの人にとって暴力になっているかもしれないと反省した末に紡がれた言葉が、かろうじてジェンダーに対する批判になりうる。僕は安易に「ジェンダー」を扱った作品にその反省があるとは思わない。ジェンダーを考えるとはそれだけ難しいものであるはずなのだ。
 僕はたとえば『ババヤガの夜』を批判したくてこのような文章を書いているわけではない。こう書いている僕自身がジェンダーの難しさに打たれていないではないかと思うからこそ、それについてもっと深く考えたいと願っているのだ。そういう意味では『ババヤガの夜』は僕にきっかけを与えてくれた恩のある作品なのだが、一方でこの作品が構造的に抱えている問題を無視することはできなかった。それは端的には次の点、『ババヤガの夜』における主人公新道の腕っ節の強さはハリウッドによくあるような男の主人公をそのまま女に反転させただけのように読めてしまうという点にある。この反転は王谷の批評的思考によって工夫されたもので、たとえばハリウッドが描く男性性の象徴のようなヒーローが彼女の視点には問題を孕んだ存在、極端を恐れずにいえば悪魔のような存在に見えていたからこそ、それを反転して「腕っ節の強い女主人公」という存在を打ち出し、英雄と言えば男性性の象徴であるといった先入観に閉ざされた目にショックを与え、ハリウッド的な英雄が持つ問題を浮き彫りにしようと企図したものであるはずなのだ。「男(ここ)」では英雄だったものがまったくおなじ姿のまま「女(そこ)」の視点では悪魔になる、男女の構図を反転させることで王谷はこの事実を浮き彫りにしようとしたのである。
 ハリウッド的男性性の象徴はたとえ多くの人にとっては「英雄」だったとしても一部の人にとっては間違いなく悪魔であり、人を抑圧し暴力をふるう存在にほかならない。「シスターフッド」はこのような悪魔と戦うための戦略であるはずであり、だからこそ彼女たちはおおいに戦い、そして勝利すべきなのだが、このときに失念してはならないのが単純に男女を反転させたとしても今度は別の悪魔を生み出すだけになってしまうという点である。「女(ここ)」にとっての英雄が「男(そこ)」にとって悪魔になるのだとしてら、構図を反転させただけで問題はなにも解決していない。高島鈴のエッセイに対しても王谷晶の小説に対しても僕が喉に小骨が刺さったような違和感を抱くのは、両氏の作品にこのような危険性が潜んでいるような気がしてならないからである。大事なのは「私(ここ)」と「あなた(そこ)」の差異を無視したところで生じる連帯は結局のところ「シスターフッド」が敵とするものとおなじ構図を反復することにしかならないという点である。たとえ連帯が崩れる可能性があっても「あなた」をありのまま描き受け止めることが大切なのだ。この点を忘れたときに固く結ばれていた「シスターフッド」の連帯は氷解するだろう。僕の小骨はこの危機感を抱いたことによって生じた余計なお節介の結果である。
 残念ながら男性である僕が「シスターフッド」に連帯することには限界がある。もちろん「シスターフッド」が直面している問題に関しては男性こそが当事者であり、男性こそが「私=男性=ここ」が「あなた=女性=そこ」に自分がどう見えるかを自覚すべきなのだが、それは「シスターフッド」とは別の問題になるためここでは深く立ち入らない。僕にできるのはただ文藝が灯した小さな火がこの機会に少しずつでも広まり、「あなた」をありのまま見つめることのできる真の連帯が生じるよう願うのみである。

 

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 ここで筆を置いてもかまわないはずなのだが、そうするにはなにか物足りない感じが拭えない。これでは急いで結論を出しているだけで、自分にとって大切な問題を本当に深く考えられているかが疑問なのだ。自分の身を切って本当に考えるということができていないのではないか。深く考えれば僕にとって大事なのはジェンダーではない。フェミニズムでもない。シスターフッドですらないだろう。僕にとって本当に大事なのは身を切って身近な人との関係性を考えられるか否かだけなのだ。その身近な人のなかには女性も含まれており、その関係は性の差が持つ構造的な対立に必然的に囚われてしまっている。レヴィナスは暴力を封じるような「顔」を生起させる他者とは端的には女性であると言った。しかし、デリダを持ち出すまでもなくこれには反論が可能であり、「顔」が暴力を封じることができるのは「顔」こそが暴力を生起するからなのだ。言い換えると、ヘテロセクシャルの男性にとって女性という存在があればこそ愛が生じるのだが、同時に女性があればこそDVやレイプのような暴力が生じるのである。性の差が持つ構造的な対立とはこの暴力の可能性にほかならない。
 ナチスをはじめとした全体主義国家の盛衰を見届けたレヴィナスは、歴史において一つの思想、一つの理念、一つの理想に人々が融合することを目的としたコミュニケーションはいずれ砕け散る運命にあることを洞察した。仮にそのようなコミュニケーションが成功したとしても、それは自分とはちがう異邦人のような他者、つまり「あなた」が本来持っていた多様性を廃棄したところに成立するコミュニケーションであり、他者の他者性が無視されている。全体主義の歴史が証明しているように、このようなコミュニケーションはいずれ挫折する。愛についても同様のことが言える。愛が相手を所有することを指すなら、たとえばダロウェイ夫人は作中では誰も愛していない。夫のリチャードであれ、元恋人のピーター・ウォルシュであれ、思春期に同性愛的関係にあったサリーであれ、ダロウェイ夫人にとって彼らは所有不可能であり、共通の理想や理念をもつことなど望むべくもない存在である。彼らへの愛は必然的に彼女に孤独を強いる。だが、このように挫折の文字が刻まれたコミュニケーションこそが他者の神秘を生かし、絶望を希望に転化しうるものであるとしたら、どうだろうか。
 コミュニケーションが挫折したときにこそ「私」とは異なる「あなた」の存在が確かな手応えをもって感じられる。「シスターフッド」における連帯とは、男女だけでなく女性同士においても生じる構造的な対立や暴力の可能性のなかで、挫折し連帯に失敗した瞬間に生じる「私」が「あなた」にとって暴力になるという暴力的な自己認識によって「あなた」の存在を確かな手応えとして感じ、多様な価値観を垣間みて自分自身を更新することで生じるものなのではないだろうか。個々人の価値観の差を捉えた『ダロウェイ夫人』に連帯が描かれているとすれば、それはこのようなかたちの連帯である。この連帯がひらける可能性はコミュニケーションが挫折した瞬間に自分自身を更新しうるか否かにかかっている。高島がいう「他ならぬあなた」とは「私」を更新する可能性を秘めた「あなた」、自分とは意見を異にし共通の信念も理想も持ちえない、しかし共に生きることはできるような「あなた」であるべきなのだ。「シスターフッド」というものが僕自身が真に関心を持つことができる概念であり、政治的戦略に勝利を収める可能性を持ったものであるとすれば、「私」にとって他者であるような「あなた」を「シスター」として包括するときにこそである。以上を踏まえ、「他者との関係において痛みを恐れるな」というメッセージを提示した上で、僕は他ならぬあなたに対して蜂起せよと呼びかけたい。