いえばよかった日記

書評と創作のブログです。

書評

批評の課題——柿木伸之『燃エガラからの思考──記憶の交差路としての広島へ』書評

この文章は柿木伸之『燃エガラからの思考──記憶の交差路としての広島へ』の書評として、ある媒体のために2022年9月に書かれたが、相談の上で没としたものである。時事や政治を語る準備が不足している状態でベンヤミンを応用した専門家の思考にふれたとき、対…

未だ描きえぬ肉声——佐藤厚志『象の皮膚』について

「暴力」という言葉はしばしばその内実を曖昧にぼかされたまま口にされる。物理的な暴行であれ性的な加害であれ、あるいは言葉によるものであれ、思い返してみるといつ誰にどのようなことをされたのかという被害体験を詳らかに語られることは意外なほど稀だ…

2000字書評コンテスト『講談社文芸文庫』応募作品

僕も参加していた2000字書評コンテスト 『講談社文芸文庫』結果発表|コンテスト|NOVEL DAYSの結果が発表されました。 残念ながら僕は落選してしまったので、今回は応募した作品をこちらのブログに掲載します。 他者をめぐって——柄谷行人「意識と自然」につ…

従順と非服従——太田靖久『ののの』について

こんにちは。Twitter上で @kawamura_nodoka のアカウントで活動している川村和です。 今回は今年の文芸書を紹介する「文芸アドベントカレンダー」の十三日目の担当として、necomimiiさんからバトンを受け取りました。文芸書の紹介というより書評の側面が強い…

(文芸ファイトクラブ2参加作品) 遠い感覚——柴崎友香『わたしがいなかった街で』について

紙面に限りがあるので引用して詳しく解説することは控えるが、『わたしのいなかった街で』の冒頭は語りの現在時が横滑りしていき、「一九四五年→親戚と同席した車中→その十年後」というふうに語り手にとっての「今」が移動していくという特異な文体ではじめ…

性的ゾンビ 遠野遥『破局』について

自分の側に社会秩序や規範があり、正しく悪を裁こうとしているまさにそのとき、人は最も暴力的に振る舞うものである。それが顕著になるのはたとえば居合わせた群衆によって痴漢が取り押さえられるような場面で、加害者が逃げる素振りを見せようものなら群衆…

ユーモラスな死の演習 多和田葉子『犬婿入り』について

いずれ迎える死を内に抱えた人間はみな等しく死刑囚のようなものである。最期の瞬間をひとたび想像すれば、誰もが叫び出さずにはいられないような底の抜けた恐怖に襲われる。人が平気な顔をして通りを歩くことができるのは待ち構えている運命を見ないように…

遍在する「私」 ——ヴァージニア・ウルフ『ダロウェイ夫人』について

小説の世界にはリアリズムと呼ばれるものがある。科学の産物であるそれは主に視覚的な情報を正確に切り取るのがよいとされる価値観で、風景を描く際に顕著に現れ、同じ風景をリアリズムに則って書けば同じような内容になると思われている。ところが冷静に考…

怖い話 遠野遥『改良』について

一般に、子供は大人よりはるかに強い視力を持っている。電子機器の発展が進み全体として近視の傾向にある現代日本であっても事情は同じで、見えないことに鈍感になってしまった大人をよそに子供たちはものをよく見ている。だからこそ、私たちには何でもない…

老耄と一身を超えた情 古井由吉 『この道』について

生まれて来なければよかったと思ったことが、自分にもある。一度や二度ではなかったかもしれない。幼少の頃、喘息の発作で呼吸困難にあった夜々に、寝入った家族を起こすのが忍びなくてひたすら耐えていた寝床の上で、窓外の、明けようともしもない未明の空…