いえばよかった日記

書評と創作のブログです。

明るい部屋 3/3


 月が出ていた。
 祖父の家は駅を見下ろす高台にあり、京急線の路線が街明かりに揺れて夜の底で川のように波打っている。街灯の投げる小豆色のけばけばしい明かりが飴のように川面に薄く滲み、夜空の星と奇妙なほど調和した黄色になって溶けていた。川上では街と夜との境界が曖昧で、濃紺とも紫ともつかない遠景の中、星と月とが際立っている。空をじっと見つめると凹凸があるような錯覚が目に生じ、毛筆の痕跡が浮き上がってくるようだった。うつくしい夜だ。こんな夜に祖父と散歩するのはいつぶりだろう? 子どもの頃はよくこうして一緒に歩いたものだ。健康は足からというのが祖父のモットーで、孫のぜん息に効くかもしれないと短い距離をよく歩いた。食後に散歩する習慣はそのときにできたものらしく、和人の歳を考えるともう二十年以上つづけていることになる。当時ですら祖父は七十だった。
——寒いね、おじいちゃん大丈夫?
——そのために着込んできたからね。
 橙色のマフラーと同色の手袋、白いニット帽という姿の祖父は、確かに本人の言う通り防寒面での心配はなさそうだった。桶が空になって少しすると、自室に戻った祖父がこの防寒着姿で現れ、集合写真のときと同じ唐突さで和人を食後の習慣に誘ったのだった。急だったせいで薄着に上着を羽織っただけの格好で出てきてしまったから、和人は背中に鳥肌が浮いているのを感じていた。けれど冬の澄んだ空気は嫌いではなかった。籠もっていた空気から解放されたような清々しさが好きなのである。それはふだん気づかなかい息苦しさが浮き彫りになるのだとも言えるのだけれど。
 和人には歩く速度と不幸の度合いは一致するという自説があった。それは年齢に関係なく、老人であっても無意味に速足な人もいて、そういう人は例外なく一人だし、目つき顔つきに剣がある。この自説に照らし合わせると、祖父は一貫して自分のペースを保つ人で、少なくとも不幸からは遠かった。
——これからは貴方たちが世間をつくっていくんだよ。
 なんでもないことのように祖父が言った。
——世間がつくれるものって、そんなふうに考えたこともなかった。
——つくれますよ。貴方たちは若いんだ。力がある。自分で思っているよりずっと力があるんです。
——そうなのかな。
——そう、若いというのはそれだけで価値があるんです。いや、若くなくたってそうだ。こんなだらだらした散歩につきあってもらったのも、ありふれた言葉だけどね、「人間にはお金に換えられない価値がある」っていう一言が言いたかっただけなんですよ。知ってるかもしれないけれど、かずくんの名前は私が決めたんだ。そして誰にでも名前があるのは、誰かがその人を産んだからですよ。ハンデを持って産まれる可能性も、生きていく上でハンデを負う可能性も承知で、誰かに生まれさせられたから名前があるんです。その誰かは、たとえ社会には無価値でも、お金に換えられない価値を無条件に見出したから、貴方をこの世に生んだ。それはかずくんに限らず、誰ひとり例外じゃない。世間ができるのに先立って、子供を名づけるという最初の言葉があったんです。ちょっと前にフランスのちょっと難しい人の本を読んだら書いてあったんだけど、すべての言語はそういう最初の言葉への応答なんだそうですよ。言語を使うとは最初の言葉を肯定することであり、最初の言葉とはすべての人にお金には換えられない価値を無条件に認め肯定する言葉なんです。言語は命を肯定している。どれだけ命を否定しても、否定するためのその言葉がすでに命を肯定しているんです。
 祖父の言葉は白くなって冷えた夜気に溶けていった。そのあとを追うようにどこかから犬の遠吠えが聞こえ、車のエンジン音が一度だけ響き、かすかに味噌汁の匂いがしていた。いい夜だねと祖父がつぶやき、うん、と答える。これも命を肯定する言葉だ。
——そろそろ帰りましょうか、と祖父が言った。

 



 散歩から戻ると祖母が玄関で待っていて——寒いのに物好きねえ、と呆れた顔を見せた。和人と祖父が顔を見合わせると、——温かいお茶を淹れたから飲んでくださいね。風邪でもひかれたら看病するこっちが保たないんですから、と早く居間に行くよう促された。寿司が広がっていたテーブルに湯呑みが二つ、湯気をあげて二人を迎えてくれた。ガラスのコップとは似ても似つかない陶器の湯呑みを回想しながら、和人は冷蔵庫から出したペットボトルのお茶をキッチンで飲んだ。あのときとは正反対の冷たさが喉を落ちていく感触と、祖母が淹れてくれた熱いほうじ茶の味が頭の中で混乱し、奇妙な感覚となって和人を襲った。頭痛がする。キッチンから七畳の部屋に戻ると、奥の窓際にあるベッドと手前のソファとで悩み、結局ソファを選んで寝転がった。少し熱があるのかもしれない。パニック発作と併発して自律神経を病んでいたから、軽微な発熱や動悸が不規則に身体を叩いてくる。一月も末だというのに急に雪が降ったり、そうかと思えば早すぎる春の陽気がやってきたりと、ここのところ気候が安定しないせいで、体調が悪化しているのかもしれない。
——いったいどこまで行ってきたんですか?
 ぼんやりする和人の耳は、確かに祖母の声を聞いた。
——家の前の通りを往復してきただけだよ、と祖父が答え、そうだよね、と目で同意を促されたから、うん、と答えた。同時に和人はくしゃみを二回した。部屋の暖房を入れた方がいいかもしれない。
——そこにヒーターがあるから、椅子を持ってきて温まりなさい、と祖母が和室に通じる引き戸の前を指す。暖炉のような灯りが引き戸の曇りガラスを下から照らすせいで、和室の中で火が揺らめいているように見えた。父は食後の一服のために庭に出ており、叔母さんは台所で洗い物をしていたから、和室の中では残りの四人が炬燵を囲んでいることだろう。どんな話をしているのか和人にはわからなかったが、正月のありふれた話題に加わる気にもなれず、祖母に言われるまましばらくヒーターの前に座り込むことにした。
 祖父はプリントが終わっているはずだという写真を撮りに自室へ向かい、食事の片づけを終えた祖母がテーブルの椅子に腰を下ろした。自分のための湯呑みを両手で包み、居間とひとつづきになっている背後の台所へ、——リエさんもそのぐらいで切りあげて少し休みましょうよ、と言った。
——かずくん、少し痩せた?
 布巾を手にあてがいながらリエさんがやってきた。——そうですか? と答えると、頬の辺りが少しシャープになったと言われた。看護師の目は誤魔化せないな、と和人は少し警戒する。リエさんの言葉を聞いた祖母に
——ちゃんと食べてるの? と心配された。
——料理してるから大丈夫だよ。自炊するのけっこう好きみたいで、毎日なにかつくってる。
——生野菜は食べてる? とリエさん。——ひとり暮らしだとついつい自分の好きなものに偏りがちだから。
——どうかな、そう言われると自信がないけど、と言いながら、和人はこの一ヶ月欠かさず食事に野菜を取り入れていた。正月を迎える前も同じ食生活をつづけていたから、痩せたのはたぶん食事のせいじゃないよ、と和人は誰もいない部屋で天井に向かって呟いた。病気のせいで僕はこうなったんだ。
 引き戸が急に開いて、母が顔を出した。
——もうちょっとしたら帰るから、支度しなさい。
 ほうじ茶とヒーターのおかげで十分に温まっていたから、和室に鞄を取りに行った。居間に戻ると父がニコチンの臭いを撒き散らして和人が座っていた椅子にドシンと腰を落とすところだった。ようやくタバコを吸い終えたようである。
——なに、もう帰るの? と母に訊ねている。
——あんまり遅くなっても困るから。
——また来年ですかね、と叔母さんが座りながら挨拶する。我が家も挨拶を返していると、叔父さんにつづいて弟とアサヒが和室から出てきて、居間が急に賑わった。
 じゃあまた来年、と姉に呼びかける叔父さんの声を聞きながら、来年の僕はどうなっているだろうと、そのとき思ったことを何もない天井に訊ねてみた。部屋はしんとしていて、冷蔵庫がうるさく感じるほどだった。あのあと自室から出てきた祖父がプリントした写真を全員に一枚ずつ配っていて、今は棚の中、本の間に置いたファイルに収まっている。重い身体をソファから起こしてそれを開くと、何かを喋ろうとしてか、梅干しのようなしわを下唇のあたりに浮かべて写っている自分と対面した。僕とは対照的に祖父は大きく口を開けて笑っている。
——かずくん、ちょっといい?
 帰り支度も終えて一家で玄関に出たとき、見送るためについてきた祖父に背中から呼び止められた。ついて来て、と言われ、七福神の面が並ぶ祖父の部屋に招かれる。すたすたと先を歩いていた祖父が入り口から右手にある襖を引くと、よく整理された書斎が現れた。夢の中でここに出刃庖丁が隠されていると恐れていたことを思い出し、僕は思わず苦笑した。幼い頃はこの部屋で祖父に相手してもらうのが大好きで、あそぼ! あそぼ! と弟と一緒に連呼して祖父を草臥させたものだった。
 祖父は棚に並んだ本から一冊を手に取り、書斎の入り口で待っていた僕に言った。
——最近、天文学の勉強をはじめたんです。かずくんは英語でしょう? かずくんが資格を取るのと私が学び終えるのと、どっちが早いか競走しようよ。
 手渡されたのは使い込まれてボロボロになった英語の参考書だった。
——あのさ、おじいちゃん、と言いかけたが、そこから言葉を継ぐことができなかった。その様子を見て祖父は、
——無理に言わなくていいよ。かずくん、今日はなんだか黙しがちで元気がないようだから、何かあったのかなとは思いましたけど、貴方の歳になれば誰にも言えないことの一つや二つあるものです。健康には気をつけてくれれば、私はそれで満足ですよ。
——うん。ありがとう。
 いつか、あのとき秘密を打ち明けなかったことを後悔する日が来るのかもしれない。祖父はもう九十で、いつ何が起きても不思議ではない。それが現実だ。一方で僕は信じている。きっと来年の正月には、何も隠さず祖父と対面できると。
 和人はボロボロになった参考書を開き、記憶の船を降りて、今現在に意識を集中した。