いえばよかった日記

書評と創作のブログです。

明るい部屋 1/3


 実家を出てひとり暮らしをはじめてからしばらく経つが、我を失った寝起きの頭が、かつて部屋にあった子供用の二段ベッドにいると錯覚し、弟の気配が下にないのをあやしむときがある。そういう朝にはホームシックとまではいかないが、感傷的な気持ちで胸がいっぱいになって、赤子の頃に母のおっぱいをあてがわれたような満足を覚え、母が好きだった荒井由実をかけてみたり、音楽のやさしさに誘われて微睡みに引き戻されたり、つかの間に覚醒を取り戻し垂れていた頭を起こしたりする。こういう様を船を漕ぐというが、眠りと目覚めで振り子を描く当人に意識がないわけでもないものらしく、船を漕ぎつつ黒い海から秘密を運ぶ幻に会い、ゆめ特有の真剣さから、荒い波に呑まれないよう、どこかへと舳先を進め、仕事をやりおおせようと奮起する。
 船乗りは平らな海に暗号の目印を読み取ることで、向かうべき方角を探りあてるが、常人にはそれが不思議で、彼が海とのあいだで意味をやりとりしているように見える。自分にそんな力があると驚くのも忘れて、彼は船に秘密を乗せて一心に運ぶ。潮の匂いを吸い、海を味わい、水平線を見渡して。彼の秘密は自分の名前である。筑井和人という自分の名前。秘密はそれだった。巡回船の監視を潜り、気性の荒い海原をあやし、額の汗を拭う他は夢中で、秘密を守っているのである。それが彼の闘いだった。秘められた闘いだった。ところがいつの間にか、彼は小さな子供になっていて、闘いとはほど遠く、祖父の寝室に布団を敷いて横になっていた。お父さんお母さんに用事があって預けられたんだ、と和人は思った。お母さんの方のじいじとばあばのお家に泊まらなくちゃいけないんだって。用事っていうのはね、三つ年の小さな弟のシュッサンだった。シュッサンて、お母さんのお腹から生まれてくることなんだって。人間がお腹から出てくるなんて、変なの! じいじの部屋では梁に掛かった七福神のお面が和人を見下ろしていた。右手の梁の下で窓が月に明らみ、お面に微かな陰影をつくり、不気味な表情を浮かべさせている。そのとき七福神は鬼だった。
 怯えを孕んだ連想からだろうか、彼の意識は枕の先の障子へと向けられていた。障子の奥は書斎になっていて、祖父の机と資料や本が棚に並んでいる。そのどこかに出刃包丁が隠れていて、ぼくが寝ているあいだに誰かがそれを取りにくる。ぼくは喘息で身体が弱いから、間引きするためにここへ来るんだろう。弟の方ができる子だから、間引かれて当然なんだろう。心失者には育てる価値がないそうだ。ほら、足音が聴こえてくる。きっと鬼の仲間だ。廊下の板を鳴らして、左手の襖を開けて、ここへやって来るんだろう。いや、もうすぐそこまで来ているんだろうか。足音は徐々に徐々に近づき、間もなく部屋の襖を開いて、暗闇を背後に従えた鬼の面がぬうっと現れる……
 たわいもない夢にようやく別れを告げた和人は、眠りに引きずられた目を辺りに彷徨わせ、布団で寝ていた割にはずいぶん天井が近いと思ったり、茶色いはずの畳がどうも白っぽいなと感じたり、簡素な祖父の部屋にしては物が多すぎると訝しんだりして、親しんだ部屋にいる自分を見出すまで愉快な混乱を味わった。つかの間とはいえ、この瞬間の彼は子供でも成人でもなく、ベッドとフローリングの我が家にいながら同時に祖父の元にいた。事物AはAでしかないという確固たる現実にヒビを入れていたのである。こういう体験の後では現在という揺るぎない概念はあやしくなって、眠る前と起きた後でも世界が地続きであり、身を起こした途端に別の人間になったり、中世や原始の時代を生きていたり、過去のどこかで訪れた民家や宿が立ち現れてくるようなことはないと確信できなくなる。そういえば、プルーストの小説にも似たようなことが書いてあった。事物の不変性は、われわれが事物の不変性へ向けた根拠のない信頼によって成り立っているのではないだろうかというようなことが。何かの拍子にそれを信じられなくなり、ついに信頼を取り戻せないようなことがあれば、世界はアメーバーのように掴みどころのない変幻自在な姿を現すかもしれない。
 起きあがった彼は親しんだ部屋に自分がいることをまだどこか納得できない気分のまま、日常の家事に取り組んだ。昨晩の洗い物を片づけ、溜まった洗濯物を回し、掃除機をかけるかどうか迷いながら寝起きの混乱を振り返り、あの夢がなんだったのかとフロイトの真似事をはじめる。どうにも気がかりな夢だったのである。あの夢は錨のように僕を夜の意識へ留めようとする。掃除機を断念した彼は紅茶を淹れ、焼いたパンをカップに浸しながら考えた。今朝の夢は今年の正月に祖父母の家で行われた親戚の集まりを元にしたもので、祖父母のところへ向かう前に実家に帰っていた僕は、今みたいに紅茶を飲みながら本を読んでいた。居間の炬燵に寝転び、長大さで知られる小説の一巻目を楽しんでいると、出かける準備をしなさいという母親の声に読書を遮ぎられた。
——おじいちゃんのところに行くんだから、そんなだらしない格好じゃダメよ。早く着替えてきて。
 しぶしぶ本を置いて立ちあがり、クローゼットのある二階へと階段を登った。踊り場でくの字に曲がり、パジャマを脱ぎながら一年ぶりに会う祖父のことを考える。九十を迎えた祖父は去年のあいだに大きな手術と親しい友人の死とをいっぺんに経験していて、気力も体力も衰えをみせているらしい。そういえば、踊り場の小窓にかかっていたレースのカーテン、花柄の上品なあれは祖父から贈られたものだと聞いている。カーテンに濾過された夕陽が木漏れ日のような模様を持ち、何かを求めて踊り場の床を彷徨っていた。光はゆらゆらと儚げに泳ぎ、右に迷っては左へ傾き、僕が通り過ぎても小波ひとつ立てることなく漂いつづけた。着替えを済ませて再び踊り場に差しかかると、木漏れ日はついに何かを見つけたのか、そっと姿を消していた。暮れになって日が沈んだのである。
 一階では夕飯の約束に間に合わくなるという母の声を号令に、父と弟がバタバタしはじめていた。父はエンジンの調子が悪い車を調教するために先に出て、せっかちな弟がそれにつづく。先ほどまでだらだらしていたのが嘘のようである。残った和人と母が荷物をまとめて玄関に差しかかると、靴を履いているときに母に呼び止められた。
——病気のこと、おじいちゃんに言わないでね。友達が亡くなったってナーバスになってるのに、孫がパニック障害で休職してるなんて聞いたら、おじいちゃん卒倒しかねないわよ。
——わかってるよ、と彼は答え、母と共に車へ乗り込んだ。

 



 免許を持たない和人にとっては久しぶりの乗り物だった。四角い鉄の塊に閉じ込められて過ごす到着までの四十分を耐えられるかどうか、彼には確証がなかったが、幸いにも父の運転に身を委ねることは身構えていたほどの苦痛にはならなかった。むしろそのとき彼が感じていたのは懐かしさだった。家族のお喋りを離れ、発作を起こさないようひとりでじっとしていた彼は、夢に見た幼かった頃にも同じような姿勢で窓にもたれ、ショッピングセンターの宇宙船のような輝きやネオンの煌めき、テールランプの赤い尾を長く伸ばしていく別車線の残像たち、等間隔に並んだ街灯の明かりが順に背後へ飛んでいく様を熱心に捉えては、その光景の中に梟や鷹の翼を広げさせてみたり、大きな竜の背中に乗って全身に風を受けることを幻視したり、その希少な生き物を世間に隠しながら彼との友情を育んでいく己れを自分自身に物語ったりして過ごしたものだった。あの頃の僕にとって車に乗るとはワクワクした冒険の予感に飛び込むことだった。ところがそんな記憶と重なるようにして、現在の僕の瞼には大学を出た後に入った会社での仄暗い場面がこびりついている。たとえば深夜の一時に椅子を蹴られたときの衝撃や、上司の罵声や、帰りの電車で肩をぶつけてきたサラリーマンと喧嘩したこと、相手も僕も青白い疲れた顔をしていて、頬を二度も殴られたにも関わらず最後には相手への同情だけが残ったこと、その一件以来プラットホームに立つと激しい動悸に襲われるようになり、奈落を覗いて身が竦むときのような感覚が治まらなくなったこと。こういう諸々の苦い味が喜色に染まった過去を浮かべるあいだも舌の上に居坐るせいで、とてもではないが家族に交じって思い出話に興じる余裕はなかった。
 今の和人には、無表情で不気味な人混みが虫の群生めいた稼働をくり広げる駅は巨大な暴力だった。血管のように路線を張り巡らせた東京全体はひとつの獰猛な獣だった。心療内科に通うようになって悟ったのだが、彼のような症状に苦しむ患者はそれこそ虫の数ほどおり、彼らの存在そのものが行き過ぎた資本主義の加速に軋む人間の悲鳴のように聞こえてならなかった。もちろんこの社会を構成している大多数は健康で、世のスピードについていける者たちであり、そういう彼らは日本の首都に福を見るだろう。一方で同じ場所を鬼と見る者もありふれるほどおり、パニック障害の発症はたまたま後者の日陰に入ってしまったというだけのことなのだが、そのおかけで敬愛する祖父に余計な隠し事をせねばならないのがやりきれなかった。できれば祖父には嘘をつきたくなかったのである。
 祖父母の家には叔父一家が先に来ていた。新年の挨拶もそこそこに、叔母さんと祖母が立っていた台所に母が加わり、九人分の夕飯を用意しはじめる。もたもたしていた我が家の到着は夕方の五時を過ぎていて、六時過ぎに出前を頼んだという寿司までに時間がなかったのである。そんな様子を他所に叔父と従兄弟のアサヒと弟は和室に入って炬燵を囲み、父はタバコを持って外に出ていた。父は家の中で吸おうとして母に睨まれ、肩身が狭いと祖母に愚痴りながらたった今通り過ぎてきたばかりの玄関に向かったのだが、妻の親とそんなに気安く話せる立場のどこに肩身の狭さがあるのかと、喘息のある和人は思う。いずれにせよ、結果的には女性だけが台所で働いている。誰もそのことに異議を立てない違和感から手伝いに行こうとすると、背中から祖父に呼び止められた。
——かずくんは最近、何してるの?
 思わず祖父の顔を見た。知っているのだろうか? あくまで穏やかで紳士然とした祖父からは何も窺い知ることはできず、細い顔から真意を汲もうとするのは壁のシワからものの輪郭を読み取ろうとするようなものだった。微かな模様をその気になって見つめれば、何でも描くことができてしまう。
 彼は辛うじて語学の勉強をしていると答えることができた。幸い、それは嘘ではなかった。復職が叶わない場合に備えて資格を取ろうとしていたのだ。祖父には状況を省いてそのことを伝えた。——何かの役に立つかもしれないし、本が好きだから原文を読めるようになりたいんだ、と。
——そう、それはいいね。私もね、若い頃はずいぶん勉強したよ。銃後はやっぱりアメリカが強かったし、技術の仕事に就いていたから英語ができないと話にならなかったんだ。それで、かずくんからしたら曽祖父にあたる私の父に頼んで、参考書をどっさり買ってもらってね。当時はそういう本は高かったけど、高い本を買う気前の良さもみんな持っていたんだね。今は異口同音に節約節約だけど。
 饒舌に語る言葉で背を押して、祖父は台所に向かおうとしていた和人をリビングに引き戻し、そのまま和室の集まりに引き込んだ。
 和室では長方形の炬燵を囲んで三人が座っており、お二人も一緒に飲みますかと叔父さんの歓迎に迎えられた新参者は、炬燵の手前に並んで腰を下ろした。彼から見て右手の辺に弟、対面の辺に叔父さんとアサヒがいる。本来なら左手の辺にいるべきだった父は今ごろ庭で煙をふかしているのだろうと思うと、そのことがなぜかしら恨めしかった。
——何の話をしてたの?
 祖父が三人に問うと、一座の中で一人だけお猪口を手元に置いていた叔父さんが、ほのかに血色のよくなった頬に意味深な笑のさざなみを走らせ、その波紋のようにアサヒと弟の顔に気まずげな苦笑いが広がった。
——大した話はしてません。男ばかりの集まりですからね。お父さんがいるならニュースの話題でもしていた方がいいですよ。東名高速はもう帰省ラッシュがはじまっているそうじゃないですか。無事に名古屋に帰れるか不安になっていたところですけど、お父さんは何か気になるニュースはありませんか?
——気になるニュースか。新聞は毎日欠かさず読んでいるんだけど、それでも私の歳になるとどうにも世間に疎くなるからねえ、どうしてそんなことが起こるのかまるでわからなくなる。たとえばほら、相模原の事件でようやく裁判が進んだっていうけど、私は動機に納得がいかないよ。
 祖父が言っているのは、相模原にある障害者福祉施設で、職員だった男が深夜に侵入し、深く寝入っている入居者を次々と殺害した事件のことだった。大和市でひとり暮らしをしている和人にとっては目と鼻の先の出来事で、酸鼻を極めた血腥さが部屋まで届いてきそうに思えた。
——僕も観ましたよ。「障がい者には生産性がないから」というのが動機だとか言ってましたね。
——そう言っていたね。でも、生産性というのが私にはわからない。大戦前は生産性なんて誰も考えなかった。生産性というのは私には戦中のスローガンみたいに聞こえるよ。誰ひとり怠ることなくひとつの目的に向かおうというのは、それが誤った目的のためならとんでもないものになる。でも一部とはいえ、昔は老人の知恵や経験が間違いへのブレーキになった。大戦に勝つためにも彼らの言葉は必要だったけれど、その言葉の中に世の中の流れを止めようと抗うものもあったんだ。老人は武器になったんだよ。今じゃあたらしい技術や文化が盛んに生まれて、ついていけない年寄りには立場がない。生産性がないから標的にされるなら、私みたいなおじいちゃんも殺されなきゃならんね。
——介護の現場はそれこそ戦場めいているそうじゃないですか。ストレスと疲労のあまり頭のネジがどうにかなるっていうことはあり得ないわけじゃないんでしょう。そういう意味では犯人にも同情すべき点があるのかもしれないと僕は思いますよ。もちろん殺人を肯定するわけじゃないですけど。
 つかの間、和室が静かになった。気を取り直すように叔父さんは自らの言葉を継いで、
——ともかく、僕は少なくとも子供たちには健康でいてほしいですよ。生産性だろうとなんだろうと、ないよりはあった方がいいに決まっているし、元気で働けるのはいいことですからね。これは想像ですけど、タナトスって言うんでしたっけ、嫉妬とか悪感情のことをそんなふうに呼んだと思うんですけど、犯人はそれに囚われていたんですよ。ふつうに健全に育って、誰かと出会い、結婚して子どもを産んでというのが、時代遅れだと言われてもやっぱり真っ当な道だと思うんです。犯人は過酷な環境から周囲を恨むようになって、タナトスをどんどん膨らませて歪んだ思想を出産してしまったんじゃないでしょうか。
 つづけて叔父さんは薬学部に通う隣の息子に顔を向け、
——それに、大学の学費は高いんだ。おまけにおまえの場合は卒業まで六年かかる。下手したら四年制の倍は必要だ。薬剤師になろうって奴が不健康じゃ困る。アサヒには頑張ってもらわないと、と言った。
——わかってるよ。卒業してちゃんと稼いで、車でも家でも買ってあけるから。
——別にそんなものいらないさ。ただちゃんとやってもらいたいだけだよ。
 親子の会話を横に和人の脳裡に浮かんでいたのは、「生産性」というなら僕も祖父と一緒に殺される側の人間に入っているということだった。言葉の誤用を含めてその点を叔父さんに追及してみたい気持ちもあったが、母の口止めを思い出して黙っていた。
 すると、内心を見透かしていたようなタイミングで、
——かずくんはどう思うの?
 と、祖父がまっすぐな目をこちらに向けてきた。彼はぎくりとした。秘密を脅かされる不安が風船のように膨らんでいき、破裂する瞬間を思って余計に大きくなり、脇の下に気持ちの悪い汗が滲んできた。この場で発作を起こしたらどうなるだろう。事件について僕にも意見がないわけではなかった(それどころかあの事件には考えていることがあった)が、自分を守るためにも曖昧に口をもごもごさせる以上のことはできなかった。
 しかしもし、仮に祖父の意図が宙に書かれて一字一句あきらかになり、彼の不安が一つ残らず霧のように晴れたとしても、あの場で歓談の空気を破る勇気が彼にあったかは疑問である。本当にあの場で口を開き、「どう思う」かを詳らかにするなら、彼は次のように演説しなければならなかったのだから。

 

 



——犯人のいう「生産性」は、言い換えるとこの社会にとって被害を受けた人たちが平等に値するかどうかという問題だと思う。マルクスに関連した本に書いてあったんだけど、「平等」という概念は資本主義が成立したときに生まれたものらしいんだ。それまでは労働といえばもっぱら奴隷や身分の低い人たちのもので、革命が起きて名目上は階級制度が平らに均されて、誰もが平等ということになった。でもこの見方はヒューマニズムが根づいた今のもので、階級制度の崩壊で本当に生まれたのは、資本主義にとって労働力としてなら奴隷も貴族もその価値は等しいという、そういう「平等」なんだ。そうしてこの言葉は、土に隠れた根の部分に巨大な暴力を孕みながら、今や堂々たる大木に育った。空を覆うばかりに広がり、人々は枝を見あげるばかりで足元に何が埋まっているのか省みようとしない。人はみな平等なのだと信じて疑わない。でも、「平等」というのは労働力として人は平等だという意味で、同じだけの生産性を有していることが「平等」の条件なんだよ。だから生産性のない者は「平等」に値しないという発想が出てくる。たとえ直接手を汚さなくても、資本主義社会に生きる僕たちは常にこの暴力をふるっている。たとえばホームレスや病人や障害者の人たちに、自覚的にせよ無自覚にせよ見下した視線を送る瞬間に。こう言ったからといって余裕ぶって他人のことを突いているわけじゃなくて、僕自身も「平等」の庇護下で育ち、何の疑問もなく生きてきた一人だ。人身事故で電車が止まって、もはや労働力ではあり得ない身投げ人の命より自分の不便をとって苛立ったり、車椅子に道を塞がれたり、昼間から酒を手にしているような人を見たりしたとき、自然と湧き起こる感情がこの社会の「平等」なんだ。
 僕は「平等」の名のもとにふるわれている暴力が顕在化したものが相模原の事件だと思う。あの事件は異常な男がひとりで起こしたんじゃない、資本主義に対する僕たちの無自覚があの男の手を血で染めさせたんだよ。あの男自身や僕たちと同じように、殺された一人ひとりにも家族がいたことを、僕たちの無自覚があの男から見えなくさせたんだ。でも、こうやってそのことを指摘する言葉も資本主義の産物で、言葉を費やせば費やすほど、あの男を盲目にしていく。こういう状態に対して絶望して、だから黙ればいいという結論に傾きがちだけど、人は表現することを放棄したときに最悪の暴力に手を出すものなんだ。あの男が自分の思想を公言することも確かに暴力だけど、口の暴力を放棄したからこそ相模原の事件は起きた。僕たちが言葉を諦めてしまえばまた同じことが起きるし、僕たちの中の誰かがあの男になるかもしれない。たとえ「平等」という言葉そのものが暴力だったとしても、おそれおののきながら自分のその言葉が本当の平等に達することを祈るしかないんだ。言葉という最低限の暴力を放棄したときに最悪の暴力が現れるんだから。